ょう》へ電話をかけましょう」
「君のような弱虫の若者には始めて会ったよ。駄目な奴だ」
 教授はいつまでもブツブツ怒っていた。
 昼間丸ノ内を徘徊《はいかい》していた痣蟹が、深更《よふけ》になってなぜ屍体を盗んでいったのだろう。一郎はなぜ弟の屍体を追わなかったのだろう。果して彼は弱虫だったろうか。


   麗《うる》わしき歌姫《うたひめ》


 その翌日のこと、西一郎はブラリと丸ノ内に姿を現わした。そして開演中の竜宮劇場の楽屋《がくや》へノコノコと入っていった。赤星ジュリアの主演する「赤い苺《いちご》の実《み》」が評判とみえて、真昼から観客はいっぱい詰めかけていた。いま丁度《ちょうど》、休憩時間であるが、散歩廊下にも喫煙室にも食堂にも、「赤い苺の実」の旋律《メロディ》を口笛や足調子で恍惚《こうこつ》として追っている手合が充満《じゅうまん》していた。これが流行とはいえ、実に恐るべき旋律であった。
「まア西さん、暫《しばら》くネ――」
 とジュリアは一郎を快く迎えた。
「イヤ早速《さっそく》、僕のお願いを聞きとどけて下すって有難うございます。これで僕も失業者《しつぎょうしゃ》の仲間から浮び上ることができます」
 一郎はジュリアに頼んで、レビュウ団の座員見習《ざいんみならい》として採用してもらうこととなったのであった。彼は長身の好男子だったし、それに音楽にも素養《そよう》があるし、タップ・ダンスはことに好きで多少の心得《こころえ》があったので、この思い切った就職をジュリアに頼んだわけだった。日頃|我儘《わがまま》な気性《きしょう》の彼女だったが、弟を殺された一郎に同情したものか、快くこの労《ろう》をとって支配人の承諾を得させたのであった。
「あら、改《あらた》まってお礼を仰有《おっしゃ》られると困るわ。――だけど勉強していただきたいわ、あたしが紹介した、その名誉のためにもネ」
「ええ、僕は気紛《きまぐ》れ者で困るんですが、芸の方はしっかりやるつもりですよ」
「頼母《たのも》しいわ。早くうまくなって、あたしと組んで踊るようになっていただきたいわ」
「まさか――」
 と一郎は笑ったが、ジュリアの方はどうしたのか笑いもせず、夢見るような瞳をジッと一郎の面《おもて》の上に濺《そそ》いでいたが、暫くしてハッと吾れに帰ったらしく、始めてニッコリと頬笑《ほほえ》んだ。
「ホ、ホ、ホ、ホ
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