き気《け》を催しても、彼の喰った栄螺は、もはや半ば以上消化され、胃壁を通じて濁った血となったのだった。頸動脈《けいどうみゃく》を切断して、ドンドンその濁った血潮《ちしお》をかいだしても、かい出し尽《つく》せるものではなかった。彼の肉塊《にくかい》をいちいち引裂いて火の中に投じても、焼き尽せるものではなかった。彼は自己嫌悪の全身的な嘔吐《おうと》と、極度の恐怖とを感ずると、
「ギャッ」
 と一声、獣のような悲鳴をあげて、その場に卒倒したのだった。呪われたる人喰人種――。
     ×
 それを見届けると、大蘆原軍医は始めて莞爾《かんじ》と笑って、側《かたわ》らに擦《す》りよってくる紅子の手をとって、入口の扉《と》の方にむかって歩きだした。
 今宵、紅子は、彼女の良人《おっと》、川波大尉を射殺して置きながら、それを振返ってみようともしないのは、どうしたことであるか。それは、川波大尉こそは、第一話に出て来た熊内中尉に、あの恐ろしい無理心中を使嗾《しそう》した悪漢だった。そのために、当時、鮎川紅子《あゆかわべにこ》と名乗っていた彼女は、愛の殿堂《でんどう》にまつりあげておいた婚約者の竹花中尉を 
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