れなくなって、横須賀軍港《よこすかぐんこう》へ引移ることに決定した。多分、その日の夜に入《い》ると、北上《ほくじょう》してきた赤軍《せきぐん》は、勢いに乗じて、大挙《たいきょ》土佐湾の夜襲戦《やしゅうせん》を展開することだろうと、想像された。その時刻までに、わが青軍の主力は、前夜《ぜんや》魚雷《ぎょらい》に見舞われて速力が半分に墜《お》ちた元の旗艦《きかん》『釧路《くしろ》』を掩護《えんご》して、うまく逃げ落ちねばならなかった。それには日没前《にちぼつぜん》まで、航空母艦『黄鷲』を中心とする航空戦隊が、赤軍の出てくる鼻先を、なんとかして喰《く》い留《と》めねばならなかったのだった。
 儂達《わしたち》の戦闘第十三戦隊の三機は、幾度《いくたび》となく母艦《ぼかん》の滑走甲板《かっそうかんぱん》から、空中へ急角度に舞いあがって、敵機とわたり合い、軽巡《けいじゅん》の戦隊を脅《おびや》かした。儂達の戦隊の活躍は、自分でいうのは少しおかしいが、実に目覚《めざ》ましいものだったよ。殊に僚機の第二号機に竹花《たけはな》中尉、第三号機には熊内《くまうち》中尉が単身《たんしん》乗りこんでいたが、その水際《みずぎわ》だった操縦ぶりは、演習という気分をとおりすぎて、むしろ実戦かと思われるほど壮快無比なもので、イヤ壮快すぎて、物凄《ものすご》いと云った方が当っているくらいだった。いつも三機|雁行《がんこう》の、その先登に立っていた司令機内のこの儂は、反射凸面鏡《はんしゃとつめんきょう》の中に写る僚機の、殺気だった戦闘ぶりを、ちょいちょい眺めては、すくなからず心配になってきたものだ。夕刻に近づくと、かねて気象警報が出ていたとおり、灰色の雲は低く低くたれ下って来、白く浪立《なみだ》ってきた洋上に、霧がすこしずつ濃くなってくるのだった。
(今夜は、どうしても一《ひ》と嵐《あらし》くるな)
 味方にとっては、いよいよ事態は不幸に向っていった。西に傾《かたむ》いた太陽は、密雲《みつうん》の蔭にスッカリ隠れてしまったり、そうかと思うと急にその切れ目から顔を現わして、真赤な光線を、機翼《きよく》に叩きつけるのだった。丁度、そのときだった。あの一|大椿事《だいちんじ》が突発したのは……。
 ここまで云えば、君達も感付いたろうが、この椿事は、翌朝の新聞紙に『大演習の犠牲。青軍の戦闘機二機、空中衝突して太平洋上に墜つ。乗組の竹花、熊内両中尉の死体も機影《きえい》も共に発見せられず。原因は密雲《みつうん》のためか……』などと書きたてられたあの事件なのだ。海軍当局の調査も、新聞の報ずるところとは大した相違がなかった。無論、現場《げんじょう》付近にいた唯一《ゆいつ》の人間である儂は、調査委員会の席上で証言をさせられてこんなことを云った。『青軍《せいぐん》の危急《ききゅう》を救うべく、敵前《てきぜん》に於《おい》て危険きわまる低空の急旋転《きゅうせんてん》を行いたるところ、折柄《おりから》洋上には密雲のために陽光暗く、加うるに霧やや濃く、僚機との連絡至難となり、遂に空中衝突を惹起《じゃっき》せるものなり』てなことを云ったので、不可抗力《ふかこうりょく》の椿事《ちんじ》として、両中尉は戦死と同格の栄誉を担《にな》ったわけだった。だが此処《ここ》に話がある!
 儂は僚友のために、実は偽《いつわ》りの報告をしたのだった。事実はこうだった、いいかね。あのとき、洋上を飛翔《ひしょう》していた儂は、いつの間にやら僚機から遠く離れてしまっているのに気がついたのだった。吃驚《びっくり》して後を見ると、遙か下の空で、二機はしきりに横転《おうてん》をやっているじゃないか。これは無論、儂の指令じゃない。なにか故障を起したのかなとも考えたので、儂は方向舵《ほうこうだ》を静かに廻しながら、尚《なお》も注意していると、どうも故障とは様子がちがう。一機が他の一機を執拗《しつよう》に追いかけているようなのだ。一機が、思いきった逆宙返《ぎゃくちゅうがえ》りをうって遁《のが》れると、他の一機も更に鮮《あざや》かな宙返りをうって迫り、機翼と機翼とがスレスレになるのだった。儂は、この追駆《おいか》けごっこが、冗談ではないことに直ぐ気がついた。このまま抛《ほう》って置けば、二人とも死ぬ。何とかして二人を引離す頓智《とんち》はないものかと考えたが、咄嗟《とっさ》のこととて巧《うま》い術策《すべ》が浮かんでこない。
 望遠鏡を目にあてて、よくよく眺めてみると、歯を剥《む》いて追っかけている方は、熊内中尉だった。追いかけられているのは竹花中尉、中尉の顔が、丁度雲間から現われた斜陽《はすび》を真正面に浴びて、儂のレンズの底にハッキリと映じたが、彼は飛行帽も眼鏡もかなぐり捨てて、片手を空《むな》しく顔前《がんぜん》にうち振り、
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