共軛回転弾
――金博士シリーズ・11――
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)買取《かいと》る
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|挺《ちょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)やつ[#「やつ」に傍点]
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1
チャーチルが、その特使の出発に際して念を押していった。
「ええかね。なるたけ凄いやつ[#「やつ」に傍点]を買取《かいと》るんじゃ。世界一のやつでなけりゃいかんぞ」
そしてそっぽを向いて(これからは、何《なん》でも世界一主義で行って一釜《ひとかま》起すんだ)と呟《つぶや》いた。
ルーズベルトが、その特使の出発に際して竹法螺声《たけぼらごえ》で命《めい》をふくめた。
「あの手におえないダブル・ヴイの三号に、博士を附けて買ってしまえ。第一手段に失敗したら第二手段、第二手段に失敗したら第三手段……。第十手段まで行くうちには、必ず成功するように検算《けんざん》はしてあるからねえ」
二人のいうことも、この節では前とは大分違って来た。
そこで特使と特使が、中国大陸の○○でぱったり行《ゆ》き逢《あ》ったわけだが、初めのうちはどっちもそれと気がつかない。それというのがチャーチルの特使は、不潔なモルフィネ中毒患者を装《よそお》って、よろよろ歩いていたし、一方ルーズベルトの特使の方は、男使《だんし》と女使《じょし》の二人組で街頭《がいとう》一品料理は如何でございと屋台《やたい》を引張って触れて歩いていたのである。
チャーチルの特使チーア卿《きょう》は機甲中佐《きこうちゅうさ》であった。ルーズベルトの女特使《おんなとくし》ルス嬢は、この間まで南太平洋の輸送機隊長をしていた航空大佐であり、その相棒たる男特使《おとことくし》ベラントはリード商会の若番頭の一人で、ちゃきちゃきの手腕を謳《うた》われている人物だった。
「よう。料理は何が出来るのかね」
チーア卿は、ろれつの廻らない舌で、ベラントとルス嬢の屋台に呼びかけた。
「お好みの料理を作りますぜ。殊に燻製《くんせい》料理にかけては、世界一でさあ」
ベラントはぬかりなく宣伝にかかる。
「世界一かね。じゃあ、それを作って貰おうか。早いところ頼むぜ。それからウィスキーにミルクだ。コーヒーはジャワのを。シェリー酒も出してくれ。いや心配するな、金はもっているぜ」
チーア卿は、ポケットから、何枚かの法幣《ほうへい》をつかみだして、皺《しわ》をのばす。
「へいへい。有難《ありがと》うございます。おっしゃったものは皆そろって居ります」
「へえ、皆そろって居るって、本当かね」
「嘘じゃありません。まあ、ごゆっくり召上って頂きましょう」
うすきたない屋台から、途方もない絶品佳肴《ぜっぴんかこう》がとりだされたのには、チーア卿も目をぱちくりであった。
「燻製も、一番うまいのはカンガルーの燻製ですな。第二番が璧州《ぺきしゅう》の鼠《ねずみ》の子の燻製。三番目が、大きな声ではいえませんが、プリンス・オヴ・ウェールス号から流れ出した英国士官の○○の燻製……皆ここに並べてございまさあ」
「ええっ、何という……」
チーア卿は顔をしかめた。
「旦那。おどろくのは後にして、一番から順番に召上ってごらんになすったら。おいしくなかったら、燻製屋の看板は叩き割られても文句を申しませんわよ」
と、ルス嬢も口を出す。
「いや、わしは……おれは、一番と二番とで沢山だ。ううい、いい酒だ」
チーア卿は酒に酔ったふりをして、その場のおどろきを胡魔化《ごまか》す。
「勘定《かんじょう》をしてくれ。いくらだい」
チーア卿は、几帳面《きちょうめん》に精算をし、小銭《こぜに》の釣銭までちゃんと取って、街を向うへふらふらと歩いていった。
「うまく行ったわね。これであの人は、うちの名代燻製料理を吹聴《ふいちょう》してくれるわね」
と、ルス嬢は涼しい顔。
「とんでもない。彼奴《あいつ》は油断《ゆだん》のならない喰わせ者だよ」
「へえ、喰わせ者」
「そうよ。器用な早業《はやわざ》で、カンガルーの股燻製《ももくんせい》を一|挺《ちょう》、上衣《うわぎ》の下へ隠しやがった。あいつは掏摸《すり》か、さもなければ手品師《てじなし》だ」
「まあ、そんな早業《はやわざ》をやったのかね、あの半病人のふらふら先生が……」
「まあいい。それよりは商売だ。金博士《きんはかせ》の耳に一刻《いっこく》も早く届くように、世界一の燻製料理の宣伝にかかることだ。さあいらっしゃい。世界一屋の燻製料理。種類の多いこと世界一。味のよいこと世界一。しかも値段のやすいこと世界一。さあいらっしゃい。早くいらっしゃってお験《ため》しなさい」
気の軽い碧眼《へきがん》夫婦の呼び声に、この陋巷《ろうこう》のあちこちから腹の減った連中が駆けよって来た。屋台の前は、たちまち栄養不良患者の展覧会のようになった。
燻製料理世界一屋の商売は大繁昌《だいはんじょう》だ。
しかしベラントの顔にもルス嬢の顔にも、一抹の不満の色が低迷している。
「だめじゃないか」
「どうしたんでしょうね、あの人は……」
あの人は……。あの人とは二人の期待している人物が現れないことである。あの人は世界一の燻製好きだ。そして世界一の科学兵器発明家だ。その名前を金博士という。その人こそ二人が、いやチーア卿も亦《また》、はるばるこの地へやって来て、何とか取り縋《すが》ろうという目的の大人物だった。金博士は、この陋巷のどこかに住んでいる筈だった。
2
「ふむ、ふむ、ふむ」
生返事をするばかりで、すこしもはっきりしたことを言わない金博士だった。それも道理、今、博士は燻製のカンガルーを喰べることに夢中になっている。
「……そういうわけでしてのう。お礼の点については、憚《はばか》りながら世界一の巨額をお払いしますじゃ。チャーチルも申しとりましたが都合によっては、カンガルーの産地オーストラリア全土を博士に捧《ささ》げてもよいと申して居りますぞ。どうぞその代り、博士が今お手持ちの発明兵器で、世界一なるものを余にお譲りねがいたい。そこに大英帝国の最後の機会がぶら下《さが》って居るというわけでしてな、どうぞ御同情を賜《たまわ》りたい。いかがですな、目下お手持の発明兵器で世界一と思召《おぼしめ》すものは……」
「ふむ、ふむ、ふむ」
博士は、猫が魚のあらと取組んでいるように只《ただ》呻《うな》るばかりである。カンガルーの燻製が、悉《ことごと》く博士の胃袋に収《おさま》るまでは、まず何にも言わないつもりらしい。
こんなわけで、早いところ餌をもって押掛けたチーア卿の早業《はやわざ》は、街頭を血眼《ちまなこ》になって金博士の姿を探し求めているルーズベルトの男女特使を、今も尚《なお》失望させている。
「まだ現れんね」
「どうしたんでしょうか。居ないわけはないんですけれどね」
地下二百尺の金博士の部屋では、今や博士は大きな逆吃《しゃっくり》をたて始めた。
「ひっく。ひっく。ああ、うまかった。久しぶりじゃったからのう。ひっく、ひっく。どりゃすこし睡るとしよう」
遠慮を知らぬ金博士のことであるから、あわてるチーア卿を相手にせず、ごろりと横になると、早《はや》ぐうぐうと大鼾《おおいびき》。
「もしもし博士、喰い逃げとは、そりゃひどい……」
と、卿は立上って博士をゆすぶり起そうとしたが、待てしばし。ここで無理に起して、臍《へそ》まがりの博士に又えらく臍をまげられては特使の目的を達することは出来ないと、苦しい我慢を張る。したがチーア卿とて只の鼠ではない。幸いあたりに睡る博士の外《ほか》に人はなし、秘密の研究室は自分の外に人眼《ひとめ》というものがない。この機会に乗《じょう》じて、金博士の最近の発明兵器を調べておいてやろうと、たちまちチーア卿は先祖から継承の海賊眼《かいぞくまなこ》を炯々《らんらん》と輝かし、そこらをごそごそやりだしたことである。
おどろいたことに、部屋の扉はみんな鍵がかかっていない。だからどの部屋へも入れた。金博士の実験室は、あまりにも雑然としていて、どれが研究の主体だか分らない。すばらしい毒|瓦斯《ガス》製造装置だと思って、たかの知れたキップの水素瓦斯発生装置を持って帰って笑われても詰《つま》らないと思ったチーア卿は、実験室には手をつけないことにして、更に次の部屋へ。
次の部屋は模型室だった。四方の壁に棚が吊ってあって、その上に博士の発明になる新兵器の模型の数々が、まるで玩具屋の店頭よろしくの光景を呈して並んでいた。それを一つ一つ見ていく卿は、溜息のつきどおしだ。それというのがどれもこれも垂涎《すいぜん》三千|丈《じょう》の価値あるものばかり。三段式の上陸用舟艇あり、超ロケット爆弾あり、潜水飛行艇あり、地底戦車あり、珊瑚礁架橋機《さんごしょうかきょうき》あり、都市防衛電気|網《もう》あり、組立式戦車|要塞《ようさい》あり、輸送潜水艦列車ありというわけで、どれもこれも買って行きたいものばかりで目うつりして決めかねる。さてこそ出るは溜息《ためいき》ばかりで、卿の心臓はごとごとと鳴って刻々《こくこく》変調を来たす。
「困ったなあ。この中で一体どれが世界一であろうか」
それは分りかねる。分りかねるならば、択《えら》んで行く途なし。さらばやはりみんな買って行こうとすると、これだけ嵩《かさ》ばったものを到底《とうてい》持ち出しかねる。
「困った。どうすればいいのか」
卿は、顔一面にふき出た脂汗《あぶらあせ》を拭うことも忘れて、いらいらと部屋中を歩きまわる。結局決ったのは、もっと別の部屋を探してみようということだった。
そのチーア卿が、五番目の部屋に侵入したときに、漸《ようや》く満足すべき結果に達した。
「ああ、これだ、これだ」
卿の駈けよったのは、部屋の壁全部を占領している大金庫であった。この中にこそ、金博士の重要書類がぎっしり入っているに違いない。
幸いにして金庫破りにかけてはチーア卿は非凡なる技倆を持っている。彼はこの方では英国に於ける第一人者といって差支《さしつか》えないほどの研究者である。その大金庫は、僅々《きんきん》十一分のうちに見事にぎいっと開かれた。
ところが、この金庫の中に、卿をひどく当惑させるものが待っていた。というのは、予想どおり設計書が一件ごと別々の袋に入ったものが、三百何十種収められて居り、その袋の表面を見ると、「世界一の発明。引力|相殺装置《そうさいそうち》」とか「世界一の発明、宇宙線を原動力《げんどうりょく》とせる殲滅戦《せんめつせん》兵器」とかいった具合に、どれを見ても、名称の上に「世界一」を附してあることだった。これではチャーチルの命令に応じて、最も勝《すぐ》れたる世界一の発明兵器として、どれを択んで持ち帰りなばよろしきや、さっぱり分らない。チーア卿たる者、宝の山に入りながら、あまりに夥《おびただ》しき宝に酔って急性神経衰弱症に陥ったきらいがないでもない。
こうなると人間はいやでも単純に帰らざるを得ない。つまり、何でもよいから、持てるだけ持って帰ろうということだ。チーア卿は両手に抱えられるだけの設計書袋の束を二つ拵《こしら》えて、それをうんこらさと抱《かか》えあげると後をも見ずに金博士の部屋からおさらばを告げたのであった。盗み出した設計書の件数、しめて五十三件、さりとは慾のないことではある。
3
チャーチルの泥棒特使が仕事を終って去ったが、ルーズベルトの特使二人の方は、いつまでもまごまごしていた。
が、彼らにもようやくチャンスは巡《めぐ》り来《きた》り今や彼等は駿馬《しゅんめ》の尻尾《しっぽ》の一条を掴《つか》んだような状況にあった。というのは、たまたま燻製屋台へ買いに来た金博士の若いお手伝いの鉛華《えんか》をルス嬢が勘のいいところで発見、そこへベラントが特技を注《そそ》ぎ込んで、たちまち鉛華をおのれたちの薬籠中《やくろうちゅう
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