ろではルスとベラントが心配そうな顔を見合わせる。
「燻製はもうたくさんじゃというのに。さっき、いやというほどカンガルーの燻製を喰ったよ。腹一杯になった」
「まあ、どうして召上ったのですか」
「泥棒がここへ持って来て、わしに喰えといった」
「泥棒が……」
「そうだよ。チーア卿といってな、チャーチル奴《め》の特使じゃよ。モヒ中毒を装った苦《に》が苦《に》がしい男じゃ」
「それが泥棒でございますか」
「大泥棒じゃ。あれを見よ。わしの大金庫から新兵器の設計書袋を二|抱《かか》えも持って逃げよった。怪しからん奴じゃ」
「まあ、それで先生は、その泥棒をお捕えにはなりませんでしたの」
驚きは鉛華よりも、後に控えたルーズベルトの特使ルス嬢とベラントの胸の中《うち》だった。折角《せっかく》来たが、チャーチルの特使に一足お先へやられてしまったとあっては、甚だ拙《まず》い。
「あの泥棒は逃がしてやった。それにわしはすっかり腹がくちくなって、指一本動かすのも大儀《たいぎ》じゃったからなあ」
「まあ、いつもの先生なら、決してお逃がしになるのではありませんでしたのに……」
ルス嬢はこのときそっと鉛華の袖を引いた。それで鉛華はわれに帰って、金博士に燻製をすすめる役を引受けたことを思出したが、こうなってはどうにもすすめようがない。その困り切った顔を見て取ったベラント、すかさず前にとび出し、博士に倚《よ》り添《そ》って聞き始める。
「金博士。私達は、燻製料理を持って伺いましたが、実はルーズベルトの特使でございまして……」
と、臆《おく》せず底をぶちまけるアメリカ流に、博士は驚くかと思いの外《ほか》、
「分っとるよ。ベラントにルス嬢じゃろう。わしの発明兵器を、わしごと買い取りに来たのじゃろう」
と、ずばり図星《ずぼし》をさした。ベラントの愕き、
「ええっ……」
といったまま、あとが続かない。
こういうときに婦人は度胸《どきょう》のある者、ベラントがノック・アウトされたと見て、前にとびだして博士の腕を抑える。
「今お呼び下すったルス嬢でございます。仰有《おっしゃ》ったとおりのわけですから、ぜひ契約して頂きとうございます。その代り博士のお望みは何なりと……それに特別精製のアメリカ名産バイソンの燻製を一口召上って下さいまし。これこそ世界最高の珍味でございます」
金博士をくどくには、いつの時代にあっても燻製料理によるのが捷径《しょうけい》だという鉄則を、ルス嬢もはずさない。はずさないばかりか、ルス嬢は躊躇《ちゅうちょ》の色もなく、博士の前に燻製バイソンなどを詰めあわせた食料容器の蓋をぽかんと払ったものである。
4
やっぱり効目《ききめ》があった。燻製料理は、金博士にとって、恰《あたか》もジーグフリードの頸《くび》に貼りついた椎《しい》の葉の跡のようなものであった。それが巨人に只一つの弱点だった。博士は今や羊のように温和《おとな》しくなって、前にルス嬢とベラント氏を座らせている。尤《もっと》も博士自身は、両人提供のバイソンの燻製を大皿にうつして、盛んにぱくついている有様だった。
人見知りをしないで、核心《かくしん》にとびこんでいく心臓人種のアメリカ人のことなれば、嬢も氏も、こうなっては燻製屋の仮面をさらりとかなぐり捨て、ルーズベルトの特使でござると名乗りあげて、金博士の前に陣を構えているわけである。事は早くなければならない。「博士。飛切り上等の物凄い新兵器として何を提供して頂けましょうか」
「うむ。むにゃむにゃ……」
「それを使えば、敵側は全く処置《しょち》なしという凄《すご》いものを御提供願いたい。そのお礼の一つとして、博士をアラスカへ御案内したいですな。エスキモーの燻製など、天下の珍味でございますよ」
「わしは人間は喰わぬ」
と、人を喰った博士が、コップから水をごくりと飲んでいった。
「今のはベラントの失言《しつげん》でございます。博士、世界をたちまち慴伏《しょうふく》させる新兵器といたしましては、どんなものを御在庫《ございこ》になっていましょうか」
「分っているよ。では案内しよう」
博士は、今日は珍らしく事《こと》の外御機嫌|斜《なな》めならず、両特使を引連れて、研究室へ導く。
「ここにあるのが、訪問者の身許透視器《みもととうしき》だ」
と、博士は壁に嵌《は》めこんである複雑な弱電装置を指し「入口の扉に近づくと、この人体周波分析器が働いて、その人物のあらゆる特徴と思想を分解し、こっちの自記記録紙の上にプリントするのだ。ほら、これが例のチーア卿の分だ。あとの二つが君達両人の分だ」
と、自動ピアノの鑽孔布《さんこうふ》のようなものを引張り出して示す。ルスとベラントは、どっと冷汗をかく。
次の部屋は模型室だ。そこへ一歩を踏み入
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