び声に、この陋巷《ろうこう》のあちこちから腹の減った連中が駆けよって来た。屋台の前は、たちまち栄養不良患者の展覧会のようになった。
燻製料理世界一屋の商売は大繁昌《だいはんじょう》だ。
しかしベラントの顔にもルス嬢の顔にも、一抹の不満の色が低迷している。
「だめじゃないか」
「どうしたんでしょうね、あの人は……」
あの人は……。あの人とは二人の期待している人物が現れないことである。あの人は世界一の燻製好きだ。そして世界一の科学兵器発明家だ。その名前を金博士という。その人こそ二人が、いやチーア卿も亦《また》、はるばるこの地へやって来て、何とか取り縋《すが》ろうという目的の大人物だった。金博士は、この陋巷のどこかに住んでいる筈だった。
2
「ふむ、ふむ、ふむ」
生返事をするばかりで、すこしもはっきりしたことを言わない金博士だった。それも道理、今、博士は燻製のカンガルーを喰べることに夢中になっている。
「……そういうわけでしてのう。お礼の点については、憚《はばか》りながら世界一の巨額をお払いしますじゃ。チャーチルも申しとりましたが都合によっては、カンガルーの産地オーストラリア全土を博士に捧《ささ》げてもよいと申して居りますぞ。どうぞその代り、博士が今お手持ちの発明兵器で、世界一なるものを余にお譲りねがいたい。そこに大英帝国の最後の機会がぶら下《さが》って居るというわけでしてな、どうぞ御同情を賜《たまわ》りたい。いかがですな、目下お手持の発明兵器で世界一と思召《おぼしめ》すものは……」
「ふむ、ふむ、ふむ」
博士は、猫が魚のあらと取組んでいるように只《ただ》呻《うな》るばかりである。カンガルーの燻製が、悉《ことごと》く博士の胃袋に収《おさま》るまでは、まず何にも言わないつもりらしい。
こんなわけで、早いところ餌をもって押掛けたチーア卿の早業《はやわざ》は、街頭を血眼《ちまなこ》になって金博士の姿を探し求めているルーズベルトの男女特使を、今も尚《なお》失望させている。
「まだ現れんね」
「どうしたんでしょうか。居ないわけはないんですけれどね」
地下二百尺の金博士の部屋では、今や博士は大きな逆吃《しゃっくり》をたて始めた。
「ひっく。ひっく。ああ、うまかった。久しぶりじゃったからのう。ひっく、ひっく。どりゃすこし睡るとしよう」
遠慮を知らぬ金博
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