刑事たちは、屍体から眼を放すと、地面を嗅《か》ぐようにして、路面《ろめん》を匍《は》いまわった。同じような、三つの金貨が拾いあげられた。一つは屍体の伸ばした右手から一尺ほど前方に、もう一つは、消えている街灯の根っこに、それから最後の一つは、倉庫のような荒《あ》れ果《は》てた建物の直ぐ傍に……。
「沢山の金貨だ。これは一体、どういうのだろうな」
「この金貨と、仙太殺害とはどんな関係があるのだろう。それからあの金塊事件とは……」
刑事たちは、次々に出てくる疑問を、どこから解いたものかと、たいへん当惑《とうわく》している風だった。
「旦那方。金貨はまだまだ出てきますぜ」
と、私は仙太のズボンの右ポケットから、裸のままの貨幣を掴みだした。銅貨や銀貨の中に交《まじ》って、更にピカピカ光る五枚の金貨が現れた。
「おい、余計なことをするナ」と折井刑事は一寸|狼狽《ろうばい》の色を見せて呶鳴《どな》ったが「もう無いか、金貨は……」と、息せきこんだ。
「どれどれ」と代って山城刑事が、ポケットというポケットに手をつきこんだが、その後は金貨が出てこなかった。全部で丁度《ちょうど》十枚の金貨が出てきたわけだった。
「これアすくなくとも四五百円にはなる代物《しろもの》だ」と折井刑事は目を瞠《みは》って、「仙太の持ち物としては、たしかに異状《いじょう》有りだネ、山城君」
「もっと持っていたんではないかネ」と山城は眼をギロリと光らせた。「仙太のやつ、ここで強奪《ごうだつ》に遭《あ》ったのじゃないか。だから金貨が道に滾《こぼ》れている……」
「強奪に遭ったのなら、なぜ金貨が滾れ残っているのだ。それにわれわれが駈けつけたときにも、別に金貨を探しているような人影も見えなかった」
「そりゃ君、仙太を殺したからさ。……いいかネ。仙太は数人のギャングに取り囲まれたのだ。前にいた奴が、仙太の握っている金貨を奪おうとした。取られまいと思って格闘するうちに、手から金貨がバラバラと転がったのさ。手強《てごわ》いと見て、背後にいた仲間が、ピストルをぶっ放したというわけだ。前にいた奴は仙太を殺すつもりはなかった。仙太の仆《たお》れたのに駭《おどろ》いて、あとの金貨は放棄して、逸早《いちはや》く逃げだしたのだ。見つかっちゃ大変というのでネ」
「これは可笑《おか》しい」と折井刑事は叫んだ。「第一、格闘だといっても、その証拠がないよ。入乱《いりみだ》れた靴の跡も無しさ。第二に、前から強迫《きょうはく》しているのに、背後《うしろ》から撃ったのでは、前にいる同じ仲間のやつに、ピストルが当りゃしないかネ。僕はそんなことじゃないと思うよ」
「じゃ、どう思う?」
「僕のはこうだ。仙太のやつ、ここまで来て金貨を数えていたのだ。ここは人通もない暗いところだけれど、向うの街の灯《あかり》が微《かす》かに射《さ》しているので。ピカピカしている金貨なら数えられる。そこを遥か後方《うしろ》から尾《つ》けて来たやつが、ピストルをポンポンと放して……」
「ポンポンなんて聞えなかった。……尤《もっと》も俺は消音《しょうおん》ピストルだと思っているが……」
「とにかく、遥か後方から放ったのだ。見給え、この弾痕《だんこん》を。弾丸《たま》は撃ちこんだ儘で、外へは抜けていない。背後近くで撃てば、こんな柔かい頸《くび》の辺なら、弾丸《たま》がつきぬけるだろう」
刑事たちは、その筋へ警報することもしないで、勝手な議論を闘《たたか》わした。それは所轄《しょかつ》警察署へ急報するまでに、事件の性質をハッキリ嚥《の》みこんで、できるならば二人でもって手柄を立てたかったのである。それは刑事たちにとって、無理もない欲望だったし、それに二人が本庁を離れ、はるばるこの横浜《はま》くんだりへ入《い》りこんでからこっち、二人で嘗《な》めあった数々の辛酸《しんさん》が彼等を一層野心的にしていた。
私は先程から、二人の眼を避けて、屍体の横たわっている附近を、燐寸《マッチ》の灯《あかり》を便《たよ》りに探していた。そして漸《ようや》く「ああ、これだ」と思うものを見付けたのだった。それは地面に明いた小さい穴だった。これさえあれば、仙太殺害の謎は一部解けるというものだ。
「ねえ、旦那方」と私は論争に夢中になっている刑事たちに呼びかけた。
荒《あ》れ倉庫《そうこ》の秘密
「ナ、なんだッ」と刑事は吃驚《びっくり》したらしく、私を振り返った。
「どうですい。一つここらで手柄を立ててみる気はありませんか」
「なんだとオ。……生意気な口を利くない」
「素敵な手柄が厭《いや》ならしようが無いが……」
刑事二人は、ちょっと顔を見合わせていたが、やがてガラリと違った調子で、
「なんだか知らないが、聞こうじゃないか」
「聞いてやろうと仰有《おっしゃ》るのですかい、はッはッはッ。……まア、それはいいとして、旦那方。私は犯人の居処《いどころ》を知っていますよ」
「ナニ、犯人の居処? 犯人は誰だッ」
「犯人は誰だか知らない。だが犯人の居処だけは知っているのですよ……ホラ、ここに真暗な崩《くず》れ懸《かか》ったような倉庫がありますネ。犯人はこの中に居るのですよ」
「何故だ。どうして此の中へ逃げこんだというのだ」
「喋《しゃべ》っていると、犯人が逃げだしますよ」
「しかしわれわれは、意味もないのに動けないよ」
「じゃ簡単に云いましょう。いま仙太のポケットから出た五枚の金貨ですがネ、あの金貨には泥がついていたのをご存知ですか」
「……」
「もう一つは、そこに錆《さ》びた五寸釘《ごすんくぎ》を立てて置きましたが、路面に垂直に、小さい孔《あな》が明《あ》いていますよ」
刑事たちは、目をパチクリさせて地面に踞《しゃが》むと、その錆びた釘を退けて、太い箸《はし》をつっこんだ程の縦穴《たてあな》を覗《のぞ》きこんだ。
「これは?」
「ピストルの弾丸《たま》が入っているのですよ。今掘りだしてみましょう」
私は釘の先で、穴をどんどん掘った。すると案《あん》の定《じょう》下からニッケル色の弾丸《たま》がコロリと出て来た。
「ほほう、なるほど」刑事は駭《おどろ》きの声を放った。「これは何故だ」
「いいですか、上を向いちゃ、犯人が気付きますよ。下を向いていて下さい。犯人は倉庫の二階の窓から仙太を撃ったのです」
「そりゃ変だ。仙太は背後《うしろ》から撃たれている」
「いいえ、傷はあれでいいのです。仙太のポケットに入っていた金貨は泥がついていたでしょう。仙太の野郎は、あの金貨を皆、この路面から拾ったのです。だから泥がついているんです。金貨は、同じ倉庫の二階から犯人が投げたのです。仙太がそれを拾おうと思って、地面に匍《は》わんばかりに踞んだのです。いいですか。そこを犯人は待っていたのです。丁度われわれが今こうしている此の恰好《かっこう》のところを、上からトントンと撃ったのですよ」
「ナニ、この恰好のところを……」
上から撃たれたと聞いて、二人の刑事は、身の危険を感じてパッと左右に飛び退いた。
「そんなに騒いじゃ、犯人に気付かれますよ」と私は追縋《おいすが》って云った。
「さア早く、この建物の出口を固めるのです」
「よオし。おれは飛びこむ」
「だが、この屍体をどうする?」
刑事が躊《ためら》っているところへ、折よく、密行《みっこう》の警官が通りかかった。
二人は物慣れた調子で、巡回の警官を呼ぶと、屍体の警戒やら、警察署への通報などを頼んだ。警官はいく度も肯《うなず》いていたが、刑事たちが、
「じゃ、願いますよ」
と肩を叩くと、佩剣《はいけん》を握って忍《しの》び足に元来た道へひっかえしていった。
「さあ、これでいい。……じゃア、飛びこむのだ」
私たち三人は、抜き足さし足で、この建物の周囲をグルリと廻った。表の大戸《おおど》は、埃《ほこり》がこびりついていて、動く様子もない。裏手に小さい扉がついていて、敷居《しきい》に生々《なまなま》しい泥靴の跡がついている。これを引張ったが、明かない。
「いいから、内側へ外《はず》して見ろ!」
経験がいかなる場合も、鮮《あざや》かに物を云った。戸の端《はし》がゴトリと内側へ外れた。それに力を得て、グングン圧《お》すと、苦もなく入口が開いた。――内は真暗だ。
懐中電灯の光が動いた。階下には、大きな古樽《ふるだる》がゴロゴロ転がっている。その向うには一|斗《と》以上も入りそうなそれも大きな硝子壜《ガラズびん》が並んでいる。ひどい蜘蛛《くも》の巣が到《いた》るところに掛っている。埃っぽい上に、なんだか鼻をつくような酸っぱい匂《にお》いがする。しかし犯人らしい人影は見えない。
「じゃあ、おれは入って見る」と折井刑事は低声《こごえ》で云った。「山城君はここで番をして居給え」
「うん」
「私もお供しましょう」と申し出た。
「そうか。……だが危いぞ。おれはピストルを持っているけれど……」
「なーに、平気ですよ」
折井刑事と私とは、一歩一歩用心しながら建物の中に入った。樽《たる》の間を探してみたが、何も居ない。――刑事は頤《あご》をしゃくった。その方角に梯子段《はしごだん》が斜めに掛っていた。
(階段をのぼるのだな)
と私は思った。そのとき突然に、刑事の懐中電灯が消えた。
階段を一歩一歩、息を殺し、足音を忍んで上っていった。いまにも何処かの隅から、ピストルが轟然《ごうぜん》と鳴りひびきそうだった。
そのとき、折井刑事が私の腕をひっぱった。そして耳の傍《そば》に、やっと聞きとれる位の声で囁《ささや》いた。
「二階に手が届くようになったから、一度懐中電灯をつけて見る。ピストルの弾丸《たま》が飛んでくるかも知れないが動いちゃいけない。その後で懐中電灯を消すから、その隙に階上《うえ》へとびあがるのだ。わかったかネ」
私は低声《こごえ》で「判りました」と返事した。私を縛《しば》ろうとした刑事と、同じ味方となって相扶《あいたす》け相扶けられながら殺人鬼《さつじんき》に迫《せま》ってゆくのだ。なんと世の中は面白いことよ。
折井刑事が、また一段上にのぼった。するとサッと一閃《いっせん》、懐中電灯が二階の天井を照した。灯《あかり》は微《かす》かに慄《ふる》えながら、天井を滑《すべ》り下りると、壁を照らした。それから四囲の壁を、グルグルと廻った。――しかし予期した銃声は一向鳴らない。途端にパッと灯が消えた。
(今だ!)
私は階上に駈け上った。その拍子に、いやというほど、グラグラするものに身体をぶっつけた。見当を違えて、樽にぶっつかったものらしい。
十秒、十五秒……。
パッと懐中電灯が点《とも》った。しかし何も音がしない。
(さては、自分の思いちがいだったのか)
私はイライラしてきた。
「さあ、こんどは君がこいつを持って」と刑事は私に懐中電灯を握らせ「先へ立って、この部屋を廻って呉れ。危険だからネ」そういって彼はピストルで敵を撃つ真似をした。
私は電灯を静かに横へ動かした。部屋には階下同様、大きな硝子壜だの、樽だのが並んでいた。しかし階下には無かった変な器械が一隅《いちぐう》を占領していた。それは古い化学工業の原書《げんしょ》にあるようなレトルトだの、耐酸性《たいさんせい》の甕《かめ》だの、奇妙に曲げられた古い硝子管《ガラスかん》だのが、大小高低《だいしょうこうてい》を異《こと》にした架台《かだい》にとりつけられていたのだった。
(さてはこの建物は、強酸工場《きょうさんこうじょう》と倉庫とを兼《か》ねているんだな)
と私は気がついた。これは横浜《はま》へ明治年間に来た西洋人が、その頃日本に珍らしくて且《か》つ高価だった硫酸《りゅうさん》や硝酸《しょうさん》などを生産して儲《もう》けたことがあるが、それに刺戟《しげき》せられて、雨後《うご》の筍《たけのこ》のように出来た強酸工場の名残《なごり》なのだ。恐《おそ》らく震災《しんさい》で一度|潰《つぶ》れたのを、また復活させてみたが、思わしくないので、そのまま蜘蛛《くも》の棲家《すみか
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