。ピストルの弾丸《たま》が飛んでくるかも知れないが動いちゃいけない。その後で懐中電灯を消すから、その隙に階上《うえ》へとびあがるのだ。わかったかネ」
 私は低声《こごえ》で「判りました」と返事した。私を縛《しば》ろうとした刑事と、同じ味方となって相扶《あいたす》け相扶けられながら殺人鬼《さつじんき》に迫《せま》ってゆくのだ。なんと世の中は面白いことよ。
 折井刑事が、また一段上にのぼった。するとサッと一閃《いっせん》、懐中電灯が二階の天井を照した。灯《あかり》は微《かす》かに慄《ふる》えながら、天井を滑《すべ》り下りると、壁を照らした。それから四囲の壁を、グルグルと廻った。――しかし予期した銃声は一向鳴らない。途端にパッと灯が消えた。
(今だ!)
 私は階上に駈け上った。その拍子に、いやというほど、グラグラするものに身体をぶっつけた。見当を違えて、樽にぶっつかったものらしい。
 十秒、十五秒……。
 パッと懐中電灯が点《とも》った。しかし何も音がしない。
(さては、自分の思いちがいだったのか)
 私はイライラしてきた。
「さあ、こんどは君がこいつを持って」と刑事は私に懐中電灯を握らせ「先へ立って、この部屋を廻って呉れ。危険だからネ」そういって彼はピストルで敵を撃つ真似をした。
 私は電灯を静かに横へ動かした。部屋には階下同様、大きな硝子壜だの、樽だのが並んでいた。しかし階下には無かった変な器械が一隅《いちぐう》を占領していた。それは古い化学工業の原書《げんしょ》にあるようなレトルトだの、耐酸性《たいさんせい》の甕《かめ》だの、奇妙に曲げられた古い硝子管《ガラスかん》だのが、大小高低《だいしょうこうてい》を異《こと》にした架台《かだい》にとりつけられていたのだった。
(さてはこの建物は、強酸工場《きょうさんこうじょう》と倉庫とを兼《か》ねているんだな)
 と私は気がついた。これは横浜《はま》へ明治年間に来た西洋人が、その頃日本に珍らしくて且《か》つ高価だった硫酸《りゅうさん》や硝酸《しょうさん》などを生産して儲《もう》けたことがあるが、それに刺戟《しげき》せられて、雨後《うご》の筍《たけのこ》のように出来た強酸工場の名残《なごり》なのだ。恐《おそ》らく震災《しんさい》で一度|潰《つぶ》れたのを、また復活させてみたが、思わしくないので、そのまま蜘蛛《くも》の棲家《すみか
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