階段
海野十三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)呉《く》れない

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)比較的|閑散《かんさん》な

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)僕にたかった[#「たかった」に傍点]もの
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 出来ることなら、綺麗に抹殺してしまいたい僕の人生だ。それを決行させては呉《く》れない「彼奴《きゃつ》」を呪《のろ》う。「彼奴」は何処《どこ》から飛んできて僕にたかった[#「たかった」に傍点]ものなんだか、又はもともと僕の身体のうちに隠れていたものが、或る拍子に殻《から》を破ってあらわれ出でたものなんだか判然しないのであるが、兎《と》も角《かく》も「彼奴」にひきずられ、その淫猥《いや》らしい興奮を乗せて、命の続くかぎりは吾《われ》と吾《わ》が醜骸《しゅうがい》に鞭をふるわねばならないということは、なんと浅間《あさま》しいことなのであろう。
 嗚呼《ああ》、いま思い出しても、いまいましいのは、「彼奴」が乗りうつったときの其《そ》のキッカケだ。あの時、あんなことに乗り出さなかったなら、今ごろは「キャナール線の量子論的研究」も纏《まと》めることができて、年歯《ねんし》僅《わず》か二十八歳の新理学博士になり、新聞や雑誌に眩《まぶ》しいほどの報道をされたことであろうし、それに引続いて、国立科学研究所の部長級にも栄進し、郊外に赤い屋根の洋館も建てられ、大学総長の愛嬢を是非に娶《めと》ってもらいたいということになり、凡《すべ》ては小学校の修身教科書に出ているとおりの立身栄達の道を、写真にうつしたように正確にすすんで行ったことだろうと思う。たしかに、それまでの僕という人間は修身教科書の結晶のような男で、そうした栄冠を担《にな》う資格は充分あるものと他人《ひと》からも謂《い》われ、自分としても、強い自信をもっていたのであった。何が僕を一朝《いっちょう》にして豹変《ひょうへん》せしめたか、そのキッカケは、大学三年のときに、省線電車「信濃町《しなのまち》」駅の階段を守ったという一事件に発する。
 僕の大学の理科に変《かわ》り種《だね》の友江田《ともえだ》先生というのがある、と言えばみなさんのうちには、「ウン、あの統計狂の友江田さんか!」と肯《うなず》かれる方も少くあるまいと思うが、あの統
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