設を攻撃し始めた。子供たちは敵機を見たというが、私は遂に見ずじまい。
午後五時迄に四度空襲警報が出て、四度とけた。しかし警戒警報は夜に入るもとけず。
帝都に入ったのは三、四編隊にすぎなかったが、わが地上火器は盛んに射った。あんなに射って弾丸がなくなりはしまいかと思う位に。
◯情報で伝えられた編隊の数は約三十であった。それで五百機位とにらんだが、発表は一千機内外ということであった。
◯房総、ヨコスカ、茨城の飛行場や軍事施設に対しては相当長時間攻撃した。本土上陸の企図か? 小笠原のどこかへ上陸の前提か?
◯発表によると敵機動部隊は十数隻の空母によるものといわれる。なお戦艦、空母を含む三十数隻の敵艦隊は硫黄島を攻撃中。
◯敵はビラをまいた。(茨城地区に)大東亜戦争に於いて最初。
◯放送は「明日も敵襲あるべし。敵機はふえるであろう」とのべる。
◯防空総本部、宮地直邦放送。
[#ここから2字下げ、ただし改行行頭の「・」のみ1字下げ]
・米は、欧州戦の当初焼夷弾を5%使ったが、今は60%位使っている。ドイツの工業都市の破壊は、爆弾によるに非ずして、焼夷弾による火災のためである。(テルミット)
・火焔噴射弾。
・時限爆弾。(数時間乃至数分後に爆発)
・大型焼夷弾。(炸薬も相当入っている)
[#ここで字下げ終わり]
◯徹ちゃんはどうしているか? まだ健在ならば、今夜は勇躍、敵機動部隊へ突込むだろう。飛行機が焼かれていれば口惜しいだろう。武運長久を祈ってやまぬ。朝子[#長女、永田徹郎海軍大尉夫人]も気が気であるまい。
◯運通省通告。しばらく東京及ヨコハマ着の切符発売停止(軍の者をのぞく)また京浜通過者の切符も同様なり。省線電車も売らぬ。今夜は省線電車は十時半にて終業し、約一時間半くりあげる。
◯高粱《コーリャン》の入りし米ながら、漸く今日配給となる。(十二日のものが十六日におくれた)
◯明日も一千機来るか、今度は都市攻撃をやりはせぬか――と予想する気持は、あまりいいものでない。さりながら実際に会うと、「なんだこれ位か」と期待外れがするもの、そして慣れて行くものである。東京は広い。なかなか命中とか、焼尽しとはならない。命中して一家散華すれば、これ仏の慈悲だと思うのである。生命あるかぎりは、敵と戦い、敵の攻撃を無効にし、そして敵を倒さん。
敵千機大西風に吹かれけり
敵千機大西風を喫しけり
敵千機大西風の味如何
二月十七日
◯昨夜は敵機来襲はなかったが、暁が来ると、判を押したように午前七時警戒警報となり、敵小型機二十数機の房総半島侵入を報ず。けさは昨日よりやや落着いて、冷水摩擦を始めていたら空襲警報となる。身心をすがすがしくして、神棚を仰いで祈念す。徹郎君を始め、富藤順大尉、武田光雄大尉等の武運長久を祈願す。
折から朝は赤飯そっくりの高粱入り飯なり。「これは芽出度いぞ」と思わず声が出る。
◯敵襲は昨日同様、烈化す。今日は京浜地区に侵入する編隊がふえた。東京見物を土産にするつもりか、それとも茨城千葉等の飛行場や軍事施設を攻撃完了というのか。
◯すさまじい空戦の音、地上火器の入り乱れる音、それにまじってどこかの群の喊声が聞こえる。爆弾らしい地響きもちょいちょいした。消防サイレンも聞こえる。
私は目が悪い上に、今日は快晴で小さい戦闘機を見分けにくいため、一機も敵機の姿をしかと認めなかった。ただ音響ばかりは、いやというほど耳にした。
◯午後一時半を過ぎると敵襲は下火になった。昨日敵は三時迄休んだようである。三時を過ぎたが敵勢進攻の模様見えず、午後四時すこし前に警報が解ける。今日は前触れだけで終了したわけだ。
◯敵の機動部隊は逃げたらしいが、戦果はどうなのか。
◯英、一生懸命防空頭巾を縫う。盗人を捕えて縄をなうの類なり。そして造って見て、自分がかぶるのかと思うと、気が変わって誰かにゆずってしまう。主婦はどこでもそういうものらしい。
◯放送によれば、「昨日の撃墜戦果は百四十七機、損害五十機以上。大型艦一隻撃沈、わが自爆未帰還機六十一機」なりという。
◯世田谷代田へ敵機が墜ちて行くのを近所の人はほとんど皆見ている。うちは林の中ゆえ、見えなかった。
◯盛んに横穴を掘れと宣伝す。
◯午後六時二十分の大本営発表が、硫黄島戦を報ず。「昨日来、敵は上陸意図をあらわし、戦艦五隻、巡洋艦六隻、輸送船等多数あり。これに対してわれは攻撃を加え、戦艦一隻轟沈、巡洋艦二隻、船型未詳二隻、撃沈ほかの戦果をあげたり」徹郎君はこの方へ出かけたもののように思われる。武運を祈るや切なり、徹郎君しっかり、しっかり。
二月十八日
◯昨夜来B29の侵入、一機宛だが四回も来た。けさは果して艦載機の来襲がなく、八時五十分頃まで朝寝をした。
◯朝子、突然リュックを肩に庭の方から入ってくる。英、まず愕《おどろ》き、大声をあげる。茶の間にいた陽子と私とは縁側へ駈出した。
◯まず徹ちゃんのことを聞いたが、徹ちゃんは十七日(昨日)飛行機で九州へ出発した由。隊の兵曹が昨夜電話をかけてくれたそうだ。まずは安心する。
◯朝子はけさ五時頃出て列車にのったが、千葉で降ろされるという話が、千葉まで来ると両国まで行くことになったのだという。これもよかった、早く事情が分って安心した。
◯戦果三種発表。あの比島沖での攻撃の外、硫黄島沖の戦果大いにあがる。また昨日の敵艦載機撃墜百一機と発表、またその前の十六日の撃墜にも二十数機追加あり、結果約三百機の敵機をやっつけ、敵の手持の千二百機の四分の一を倒したことになる。
◯運通省の列車と省線電車の制限は、本日より撤廃され、また小包の制限も同じく撤廃。ラジオで一般へ通告された。
◯この夜は静かで楽しい団欒《だんらん》。茶の間では昌彦以外の子供四人とねえや二人が朝子を囲み、八畳では英と養母とに昌彦も加わって、話に花が咲いているらしい。私はこれから募兵紙芝居の執筆にかかろうかと思いながらコタツのぬくもりに少しとろとろしかかっているところ。時計が七時を打った。
二月十九日
◯午後二時四十五分、突然B29、百機の帝都来襲となった。私にとっては少々不意打だ。家人はわりあいのんびり構えている。先日の艦載機千機の来襲で、千機という新記録を体験してからは、百機ぐらいは恐ろしくないらしい。そこで追いたてるようにしてフスマ障子をあけさせ、水筒等を運び入れ、昌彦も壕内へ移させる。
◯この日ラジオが停電で黙ってしまい、東部軍管区情報が途中で伝わらなくなり、敵機隊の動勢は耳で爆音等をさぐる外なくなり、ちょっと心細い想いがした。ダムでもやられたかと思ったが、三十分ほどして回復したので、まあよかったと思う。鉱石受信機を組立てておく必要を感ず。忙しいので当分つくれまいが、いずれやってみようと思う。検波器がないが、代りに安全カミソリの歯と猫ひげでやってみるか。
◯この日、とうとう硫黄島に上陸された。
◯十五、十六、十七、十九と五日間のうち四ヵ日空襲つづきで、日の経つのが速いこと。
二月二十五日(土)
◯硫黄島も激闘、マニラも激闘。徹ちゃんどうしたか、未だに便りなし。気に懸ってはいるが、家人には一言も言わずにいる。朝子も今家に居ることだし。
◯午前四時半「横鎮《よこちん》[#横須賀鎮守府。鎮守府は、海軍の根拠地に置かれた機関]情報」というのが珍しく出て「敵機動部隊が本土に近接しあり云々」と放送する。
◯果して午前七時半より警報発令となる。きょうは曇天。しかもだんだん暗くなって、雪となる。先日の雪がまだ消えないのに、また新雪積もる。その間に警報飛ぶ。敵艦載機はたいがい茨城千葉の方にいて、京浜地区まで来るのは少ないが、午後一時半B29の大挙来襲の徴ありと警告が出た。やがて間もなく来襲す。雪中を皆も防空壕に入る。盲爆故、時間の過ぎるのを待つ外なし。
◯編隊は十四を数えた。大体いつもの経路で、やや北方を西から東へ通過したが、中には頭上を通る隊もあって癪にさわる。最後に近い一編隊の落とした弾は、さらさらさらと音を長くひいて東の方に落ち、炸裂するのを耳にした。さらさらさらは、今日初めて耳にした。
あとで北方から黒く焼けた紙らしいものが、はらはらと盛んに落ちて来た。火事の焼屑か、B29の落とした導火線の焼けかすか。
今日敵は焼夷弾と爆弾の混投を行ない、相当火災も起こったようで、「官民必死の敢闘により消火中云々」と放送された。
雪は夕方に入ってもますます降りしきり、家族は空襲中煮てあった昆布巻でうまく飯をたべ、あとはタドンを入れて炬燵《こたつ》のまわりに集まる。
三月三日
◯道又さんの話によれば、神田は須田町から両国まで焼けたという。主婦の友社の安居さんの話では、駿河台の美津濃から神田橋の方へ向け、焼けて筒抜けとなったという。
上富士前から神明町ヘ。浅草橋駅、上野は駅から御徒町駅へかけて左側が全部なくなり、右方は日活館を残して、丸万や翠松園やみんな焼けたという。御徒町から両国が見えるともいうし、厩橋まで何にもないともいう。仲見世の東側、松屋のところまでがなくなったともいう。
これがみな、去る二月二十五日の雪の日のB29、百三十機の爆撃のためである。憎みてもあまりあるB29。しかし焦土と化すのは、前から分っていたことだ。それは仕方がないとして、何か手を打つべきだったと思うが、手ぬかりはなかったであろうか。
三月四日
◯朝警報鳴る。七時半だ。さては艦載機であるか、いや艦載機にしては早すぎる。それに今朝は曇っていてお生憎さまだと思って耳を澄ましていると、B29が一機ずつ四つの侵入。そして主力の方は東海地区へ入ったというのだ。
◯安心していると、とつぜん空襲警報発令、山梨地区上を十数機編隊のB29が東進中と放送。これはいかんと寝床から出る。女房に昌彦を防空壕に入れろという。が女房は昌彦のそばに添伏していて、「いや、ここにいる」と頑張る。腎臓炎で旧臘から臥床の昌彦、昨日来熱があるので、動かしたがらないのはもっともである。が、そのうちに後続部隊の侵入を報じて来る。女房やっと決心して、昌彦を黄色い毛布にくるんで防空壕へかかえて行く。
◯敵は盛んにやって来た。四つ位の梯団《ていだん》であるらしい。最も近かったのは、どこか場所は分らないが、どこん、どこん、どこん、と続けざまに爆声聞え、壕の板がびりびりと鳴りひびいた。
◯報道放送によると、百五十機なりという。警報解除一時間にして、相当大きな火災も全部消えたという。
◯早耳の報道によれば、今日は尾久や日暮里附近がかなりやられたという話。
◯敵機去っていくばくもなく、また雪がぽたぽた降り来る。三度目の大雪か。
◯岡東浩君来る。ツナ缶、飴、化粧用クリームを貰う。うちからはねぎ、にんじん、馬鈴薯、かぶを少し分ける。徹ちゃんの置いていってくれた角壜のサントリー・ウイスキーが、このよき友を大いによろこばす。なんとかなるものなら、もっとこの友に飲ませたいものだ。
◯弟佑一の会社が焼けた(二月二十五日)と手紙でいってくる。末広町に店を構えたばかりだったのに、気の毒な。またもや憤激のタネが出来た。こんなタネばかりふえ、それと反対に「ざまみやがれ、敵め」ということができないのが残念である。
◯「グルー政権」という言葉がちょいちょい聞こえるようになった。けしからん。
◯この頃の敵の焼夷弾の二割は爆発物がはいっているという。それで焼ける面積が多いのだという。また、それを知らせては誰も初期防火をしないので、知らせてないのだともいう。それはけしからん話であるが、この話はこれまでにも耳にしたことがある。
◯朝子の友達の鈴木さんのそのまたお友達が、この前有楽町の爆撃のときあそこを歩いていたが、爆弾の落ちる音を耳にして、これはいけないと思い、遂に思い切って「伏せ」をした。ところがその直後に爆弾は至近距離に落ちて爆裂したが、伏せたおかげで身に微傷も負わなかった。
ところが、あたりを見まわすと、そばに長靴をはいた脚が二本立っていた。脚だけである。その上がない。思い出したのは、
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