、これが十二時間ぶりに動き出した初列車。水戸から上野へ走る列車はがらがら空いていて、乗客一人当たり六席か七席もあった。
渋谷からは歩いて帰る。渋谷着は午後十一時十分であったが、玉川線は十時半が終車ゆえ、歩くしかない。焼跡の間の一本道を大坂上にかかったとき、警戒警報が発令された。あまり灯火を消す風も見えず、憲兵隊の漏灯をはじめ、民家にもコウコウたる点灯の洩れているのを見る。焼跡だからとの油断らしい。大橋に至り、焼けていない目黒方面を見ると、灯火管制は完全であった。焼跡住民の士気弛緩は慨《なげ》かわしい。
帰宅までに二度、お巡さんから誰何《すいか》された。リュックの中の品物について訊問を受ける。それが大鯛であり、防空頭巾をかぶせてもまれるのを防いであるので、余計に大きく見える。この鯛は貰って来たものである事や、空襲下の平磯からようやく開通の列車で帰って来たことなどを話して、諒解して貰った。
◯中小都市の爆撃が始まり、猖獗《しょうけつ》を極めている。そのさきがけは、五月二十九日の横浜市への五百機来襲であった。
◯御影の益兄さん一家も、芦屋、御影、神戸東部の濃密爆撃のため、全焼した。しかし
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