てもますます降りしきり、家族は空襲中煮てあった昆布巻でうまく飯をたべ、あとはタドンを入れて炬燵《こたつ》のまわりに集まる。

 三月三日
◯道又さんの話によれば、神田は須田町から両国まで焼けたという。主婦の友社の安居さんの話では、駿河台の美津濃から神田橋の方へ向け、焼けて筒抜けとなったという。
 上富士前から神明町ヘ。浅草橋駅、上野は駅から御徒町駅へかけて左側が全部なくなり、右方は日活館を残して、丸万や翠松園やみんな焼けたという。御徒町から両国が見えるともいうし、厩橋まで何にもないともいう。仲見世の東側、松屋のところまでがなくなったともいう。
 これがみな、去る二月二十五日の雪の日のB29、百三十機の爆撃のためである。憎みてもあまりあるB29。しかし焦土と化すのは、前から分っていたことだ。それは仕方がないとして、何か手を打つべきだったと思うが、手ぬかりはなかったであろうか。

 三月四日
◯朝警報鳴る。七時半だ。さては艦載機であるか、いや艦載機にしては早すぎる。それに今朝は曇っていてお生憎さまだと思って耳を澄ましていると、B29が一機ずつ四つの侵入。そして主力の方は東海地区へ入ったとい
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