あさわいでいて、心配していた私は安心した。大家[#萩原喜一郎、隣家]さんの長男の亮嗣君(二年生)と二女のしょう子ちゃんも入ってくるので、皆は一層元気よくわあわあさわぐ。
大人の方は「あ、待避の鐘が鳴った」とか「情報だ、静かになさい」とか「今聞こえる音は爆弾だろうか、味方の高射砲だろうか」などと、ちょっと表情を固くすることもあったが、それ以外はいろいろと雑談に花を咲かせて元気がよろしい。この分なら心配なしと、私は安心した次第。
十一月二十四日来襲の敵機は七十機内外で、爆弾は七十発ぐらい、あとは焼夷弾だった。ねらったところの第一は、三鷹の中島飛行機工場らしく、二十発の爆弾と焼夷弾一発が命中した。建物十七、八棟が倒壊、死者二百名、傷者三百名ということだった。
次の被害顕著なるところは荏原区であったが、これは前者にくらべるとたいしたことはない。しかし戸越公園とか、雪ケ谷か洗足だったかの発電所などに落ち、地上線が半分不通となった。
そのほか川崎で石油のドラム缶が百二十個ぐらい燃えた由。
また、荻窪、鷺宮附近にバラバラ落下弾があり、千葉県へも落ちた由。
要するに被害の横綱は中島であっ
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