国民はそのそばを素通りするだけだ。恐ろしくはっきりと区別のついた別の世界がわれらの傍に出来た。こんなにはっきりと二つの世界が出現したのは始めての経験だ。松飾りも買わない正月(ヤミ屋をわざわざよろこばせてなにになるか)、かまぼこ[#「かまぼこ」に傍点]もきんとん[#「きんとん」に傍点]も街には売っているが、うちにはない正月(高いだけではなく粗悪で、とても買って来て届けられないと魚屋さんがいう)、汁粉屋だ中華料理だ酒だ何だと街には並んでいるが、そっちへは近づきもしない正月(ちがった世界の人々のために用意されたものであろう)――前の正月は、何にもなくてあっさりしていたが、こんどの正月はものがたくさんあって、しかもそれは買えないか、インチキもので手出しをすると腹がたつ、いやな正月である。昔、話に聞いた上海《シャンハイ》、北京《ペキン》やイタリヤの町風景と東京も同じになったわけである。しかし、これから先の正月は、更にそれが激化するのではなかろうか。
◯ラジオを聴きながら寝る。菊田一夫構成の「五十年後の今日の今日」の苦しさよ。そのうち除夜の鐘がなり出す、東叡山寛永寺のかねがよく入っていた。
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