るは中国人なりと。
◯織田作之助、三十五歳にて死す。
◯ザラ紙一|嗹《れん》八百円は安い方。千円も千二百円もの呼値さえあり。雑誌社悲鳴をあぐ。しかし一般に出版業者は強気なり。もっとも蜜柑四個が十円のこのごろ、一冊十五円の本はきわめて安し。
◯新春以来の執筆原稿次のとおり。
“黒猫”に「予報省」二十七枚
“自警”に「地獄の使者」第二回分二十五枚
“少年”に「科学探偵と強盗団」の第一回二十二枚
“少年クラブ”に「珍星探険記」の第一回二十三枚
“サン、フォトス映画部”のための立案「掌篇探偵映画」
“函館新聞社”の“サンライズ”の随筆「炬燵船長」六枚
“エホン”の「そら とぶ こうきち」の七枚
計百二十四枚。
◯双葉山、呉清源のついている璽光様《じこうさま》、金沢にてあげられる。[#新興宗教、璽宇教教祖璽光尊、幹部の元横綱双葉山、棋士呉清源ら、食糧管理法違犯により二十一日に逮捕]
◯佑さん病気なおりて本日より出社。
◯小川得一氏、ウラジオに健在なりと自宅へ往復ハガキ来る。家族狂喜。さりもありぬべし。
六月四日
◯四ヶ月ほどこの日記をつけずに暮したが、この間にいろいろなことがあった。
◯まず弟佑一君が死んだ。三月二日のこと。病名は結核性脳膜炎。発病後三週間余にて、あわただしく逝った。あんな善人に、天はなぜ寿命をかさないのかと、私は恨めしく思った。戒名は佑光良円居士。
◯私の病体は、一応落着いていたように見え、四月にちょっと失敗して赤いものを出した。
◯一月には血痰が十二日、二月には七日、三月は四日位に減っていたが四月七日に小喀血(十cc位)。
すっかり自信を失う。この原因はよくは分らないが、三軒茶屋にて見つけて買って戻った百間随筆全輯六巻を、一番大きな本棚のその上に並べたが、そのとき患部のある左の方の手を使ったためかと思う。
しかし例の如く村上勝郎先生のお手当と、女房のきびしき心づかいにて、まもなくとめた。
それから一ヶ月半病床生活を送った。
四月二十三日に血痰が出た。それ以来今日まで、血痰が二三度出た。もう来客にお目にかかっている。
五日ほど前から散歩を始め、三日間つづけて外出した。それも遠方ではなく世田谷一丁目か、三軒茶屋迄位のところ。しかるに三日目の翌日、血痰を出したので、あとはとりやめとする。
ひびの入った硝子器のように、全くなさけない脆弱な躰である。
どうして血痰が出るのか。患部に血管が露出していて、それから出血することは分っているが、そこから出血させないようにするにはどうしたらいいのか。何を慎んだらいいのか。
左手を使って高いところへ重いものを持上げることが悪いのは、よく分っている。こんなことは殆んどしない。
なるべく左手を使うこともひかえているが、ときに使う。だが、それは大した使い方ではない故、影響なしと思う。
咳がいけないことは分っている。なるべく咳をしまいとする。しかし咳は自分でとめることは出来ない。咳は胸の中に痰がたまったときとか、咽喉に炎症があるときなど、自然に起るもので、意志の力では停めがたい。
しかし咳が喀血や血痰の基だと思うから、それをむりにも停めようとする。かくて訓練の結果、いくぶんは停められるようになる。
しかしそれは幾分であって、咳がいよいよ出始めると、どうしようもない。それを、同じ咳を出すにしてもなるべく小さい咳を出そうとして苦しい努力をする。修業と同じだ。全くやり切れない。しかし修業を積むと、すこしは咳を緩和出来るらしいことに気をよくして元気を出す。
くさめはいけないと分っている。くさめが出そうになり、いよいよそれが出るまでには若干時間があるので、出そうになると、鼻を指でこすったり、鼻をくすくすいわせたりして、極力くさめをもみ消すのである。これは修練の結果、七割ぐらいは成功。
遂にくさめが出るに及んでも、それを出さないように最後まで抑止する。
その結果、妙な音響を発する。鼻と口とを抑えてくさめをするからである。鼻孔を出来るだけ細くしてくさめをするからである。うっかりきもちよくくさめをすると、そのあとで胸の中で血管が切れやしなかったかと、たいへん心配になり、くさってしまう。
歩くことがいけないのであろうか。歩くと、はあはあ息を切るから、それが肺の活動を大きくしていけないのであろうか。
喋ることの悪いのは、よく分っている。喋れば肺を活動させ、そして咳がつぎつぎに出て、更に肺をゆすぶりあげることになる。
喋りたくはない。しかし病体で引籠り中のところ、親しい友が来てくれればどうしても喋りたくなる。
仕事の方の客は、用談だけだから、短くてすむ。親しい友ほど、長話になる。それだから親しい友と逢うことはさけなければならないことがよく分っている。だが、私はそ
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