れだけは頬かむりして、逢うことにしている。親しい友と語らずして、何んの生甲斐があろうか。そして友から受ける精神的活力は、闘病療養のためにこの上もない貴重なくすりなのだ。
 いろいろ喀血出血の原因を考えたが、何分にも自分は生理学や病理学には素人であって、本尊をつかんでいるかどうか分らない。ただ一つの自信は、自分の躰であるから、いつもよく観察しているので、こうもあろうかと推察に自信がついてくることである。
 要するに、出血喀血の原因動機にはいろいろあり、そして同時に、出血喀血の原因動機ははっきり区別出来ないということだ。で、喀血出血の原因となるべき諸行について日常極度に恐れを抱いて暮すということは、如何がなものかと思う。いくら咳をしても血管が切れないこともあれば、ちょっとした咳でぷつんと切れることもあるのであろう。
 だからそんな心配をしているのは阿呆というべきであろう。もちろん無茶をしてはいけないが、こうしたら喀血出血するか、ああしては赤いものが出るぞと、神経過敏に恐怖観念に駆立てられていることはよろしくないのだと思う。
 ところが、夜分、停電で真暗な寝床にいたり、夜中に胸の工合が変で目がさめたときなど、どうにも仕様のない恐怖の谷底へつきおとされるのである。
 とにかく私は、いろいろと解析し、その都度結論をたて、それをあんばいして時に応じあれやこれやとテストをし、一生けんめいに最もよい対策と心構えをつかもうとして努力している次第である。



底本:「海野十三全集別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
   1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
底本の親本:「海野十三敗戦日記」橋本哲男編、講談社
   1971(昭和46)年7月24日第1刷発行
※ノート2冊に書き残された「空襲都日記」と「降伏日記」は、筆者の死後、海野と親交のあった橋本哲男氏によって編まれ、「海野十三敗戦日記」として出版された。同書では、1944(昭和19)年12月7日から翌年5月2日まで分を「空襲都日記」、5月3日から1945(昭和20)年12月31日までを「降伏日記」としている。
三一書房版の全集編纂にあたって、別巻2の責任編集者となった横田順彌氏は、「海野十三敗戦日記」を底本としながらも構成をあらため、同書の「空襲都日記」を「空襲都日記(一)」、「降伏日記」の内、1945(昭和20)5月3日から8月14日までを、「空襲都日記(二)」、残りを「降伏日記(一)」とした。さらに、英夫人よりあらたに提供を受けた1946(昭和21)年1月1日から翌年6月4日までの分を「降伏日記(二)」として増補した。
このファイルの作品名は、「海野十三敗戦日記」としたが構成は、三一書房版の全集に従った。講談社版には橋本哲男氏による解説「愛と悲しみの祖国に」があるが、全集同様、本ファイルにも同文は収録していない。
入力者注による体裁の記述も、全集版に基づいて行っている。ただし全集では、大幅に割愛してあったルビを、本ファイルでは補った。講談社版には橋本哲男氏が注を付しており、全集もこれをなぞっていたが、本ファイルでは新たに入力者注として付け直した。これらの作業にあたっては、講談社版を参考にさせていただいた。
※1945(昭和20)年8月13日に海野が認めた遺書を、本ファイルでは同日付けの日記の末尾に付した。
入力:青空文庫
校正:伊藤時也
2001年1月13日公開
2002年7月23日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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