すると「反転東進」の情報が入り、しかも数編隊ありということなので、これはこっちへくるなと思い、表の八畳に腎臓病で寝ている昌彦[#三男]を防空壕に入れるよう家人へ注意したのであった。
◯ねえやのお父さん、この前も昼空襲を体験、きょうもまた体験、病治って戻ってきたよねちゃんは初の体験、どうかなあと気をつけて観察していたが、やっぱり落着いているので安心する。
◯きょうも敵の一機がひどく煙をひいて、編隊に遅れたばかりか、ついに東南方向に水平錐もみにはいったのをみて、大いにうれしかった。近ごろにないうれしさであった。下の町でもどっと歓声があがる。うちの壕からも、子供や大人がみんな飛びだして、わあわあと大喜び。それからあと、もっと敵機がこないかと待ち遠しく感じた。
◯その編隊の二番機も薄いながら煙を曳いていた。煙曳き機は二機見た。
◯爆煙か火災の煙か知れないが、荻窪と中野の方にあがっていたが、まもなく薄れた。
◯七時の大本営発表「五十機来襲、十四機撃墜(内不確実五機)、損害を与えたるもの二十七機、わが損害四機(体当たり二機を含む)」相当の戦果だ。
◯きょう空襲中の情報に「相当戦果をあげている。なお戦果拡大中」とあって、大いに都民の士気があがった。

  錐もみて墜つる敵機や暮の空
  錐もみの敵機に沸くや暮の町
  敵一機錐もみに入る空の寒さ
  墜ちかかる敵機の翼に冬日哉
  錐もみの敵機に凍土解けにけり
  錐もみの敵機や冬日うららかや

◯いつも夜中、警報中に「おい、灯《あ》かりついとるぞ!」「灯かり消せ!」とどなり立てている丘の下の町に、きょうはどっと歓声があがるのを聞いた。いつも怒鳴っていた人も、どなられた人も、ともに声を合わせて万歳を叫んでいた。

  墜ちかかる敵機は冬陽を散らしけり
     〃   の翼に冬陽散る
     〃   の撥ねし冬陽哉

 十二月二十八日
◯きょう午後一時半ごろ、高射砲音轟く。外へ出てみると、一機北方の空に西から東へ雲を曳いている。眼鏡でみれば、まさしく敵機なり。ただし警報出でず。
 あとで言訳のような東部軍管区情報が出る。
◯午後三時十五分、珍らしく警報が出、ついで空襲警報となる。朝から高橋先生が来ておられ、また江口詩人氏が原稿料(「日章旗」創刊号の)を持ってきてくださったので、何はともあれ防空壕へと裏へ御案内し、はいっていただく。この日敵機三編隊計九機位が関東北部をうろうろしていて、帝都へはなかなか近よらず。そのうちに情報が出て「敵機は依然として、関東北部を旋廻中なり。薄暮時期帝都に侵入のおそれあり、警戒を要す」とのべた。さあ松ちゃんが驚いて「敵百五十機が関東北部で廻っていて、こっちへ入ってくる」とあわてふためく。こっちは訳がわからず、いろいろ問答しているうちに「薄暮時期」が「百五十機」と聞こえたとわかり、大笑いとなった。
 しかし後刻、萩原さん(隣家)のおじいさんが野菜をもってきてくれたとき「いま百五十機くるってね」と話しかけられて、おやおやここにも早呑込みがいると驚いたが、なるほど「薄暮時期」と「百五十機」とは言葉が似ており、間違えるのは無理ない。このぶんではずいぶんあちこちで間違えることと思う。情報はもっとやさしくすべきである。いつも小むずかしくいう軍人の頭の具合にも困ったものである。目で見る字と、耳から聞く言葉とに大きな隔たりがあることぐらい、わかっていさそうなもの、大衆相手の情報なんだから、大衆向きにして出すよう考えるのが当然だ。と思う識者はいないのか、識者がいても自分の責任範囲外のときは言わないのか。長年言い古され、すでにうるさいほど指摘された官軍民一体化|総蹶起《そうけっき》のガンはここにあると言わざるを得ない。

 十二月二十九日
◯きのう岡東《おかとう》[#岡東浩。海野の神戸一中時代の友人。三菱商事勤務。麻布に居住]夫人がきて、「さっき警報発令前に、麻布十番へ焼夷弾が落ちた」と話して行った。きょう博文館の新青年女史がきて「あれは十番のカーブを電車が急に通った時に高音を発し、それが警防団員の耳に焼夷弾が落ちたように響いたものです」と訂正した。時節柄、神経過敏の度もいよいよきつくなってきた。
◯うちの女房も、情報が「少数機」と言ったのを「五十機」と聞き違えた。きのうのきょうだから、おかしい。
◯「帝都住宅の地下室化」を提唱す。つまり敵弾で遅かれ早かれ焼かれてしまうであろうから、焼けるのを待つよりいっそのこと、その前に自分の手で破壊し、その資材を利用して少数間を有する地下室をつくれというのである。投書の形にして毎日新聞文化部の久住氏へ送る。(なおこの際思いきって生活の簡素化をはかれとも記した)

 十二月三十一日
◯一昨夜、敵三回目の空襲には油断があったらしく、両国、柳橋辺がち
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