北九州
        昼   十六目標  鹿児島、宮崎、四国西南部
    14日  朝    四〇〇  名古屋

 今度は東京市街爆撃に四百機が廻ってくるだろうと、皆覚悟しているが、まだ来ない。
 名古屋は昼間の強襲に加え、翌夜にはさらに百機が来襲した。
 名古屋地方は、来襲頻度が多いわりに、被害がすくないのは、防空、防火の用意よろしく、天井などは早くから取除いてあったためである。
 しかし四百機の来襲で、金鯱《きんしゃち》の名古屋城天守閣も焼失した。大きな建築物の受難時代である。敵は三キロ焼夷弾を使い出した。
◯このごろ壕内へ持込むものは、次のようなものだ。
 御神霊、財産に関する書類、写真機、平常洋服、蒲団、昌彦[#三男、腎臓病で横臥中]の尿壜、衣料リュック。
◯沖縄地上戦況は数日前より重大化す、との報道。又とられるのか、と憂鬱になる。
 今後は一体どうするのか。
 分っているじゃないか――というわけだが。
◯この頃「しかし」という言葉がいやになった。ラジオの報道で、初めいい話を聞かせておいて「しかし」と来る。このあとは、あべこべの悪材料悲観材料の展開だ。「しかし」がいやになったゆえん。
◯昨日来た映配南方局米本氏の話に「このごろ作家のところへ原稿依頼を三十本出しても、返事の来るのは七、八本です。みなさん疎開とか、よそで別の仕事をやっていらっしゃるのですね」と。
 然り、わが二十三名生存の挺身隊[#一九三二(昭和十七)年一月から五月にかけて、海野は海軍報道班文学挺身隊員として従軍]も、東京在住者は十二名。十一名は地方に在り。挺身隊がこれである。况んや他の文士に於いてをや。

 五月二十日(日)
◯岡東来る。彼のためにとっておいた「暁」五袋とキングウイスキー少量、それから野菜は玉ねぎ一貫匁とごぼう二本位、岡東は缶詰四個とバター一|封度《ポンド》をくれる。
 二人の話はあいかわらず食うこと、飲むこと、喫うこと、壕の話、戦況などに終始する。実際この頃はこんな話さえしていれば種はつきない。
 それにしてもお互いに腹を減らしているのだ。
「ジャガイモを腹一ぱい食べたい」と岡東はいう。加藤さんが会社から帰るとき電車の中で押されても、腹がへっていて押しかえす力がないという。きょう枝元老人から手紙が来て(企画用紙送り来る)「この用紙を届けに行くべきながら、お粥腹《かゆばら》
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