富蘇峰、大川周明、太田正孝、正力松太郎、横山雄偉、児玉誉士夫
以上五十九名
◯蘇峰翁の所感詩一篇あり
血涙為誰振 丹心白首違 滄桑転瞬変 八十三年非
十二月七日
◯けさのラジオは、ついに近衛公、木戸侯らにも逮捕命令が出たことを伝えた。
近衛文麿公、木戸幸一侯、酒井伯、大河内正敏、伍堂卓雄、緒方竹虎、大達茂雄、大島浩、須磨大使の九人
◯大島大使は昨日アメリカから船で日本へ着いたばかり。
十二月十六日
◯近衛文麿公、本日朝服毒自殺す。
◯世田谷名物ボロ市、昨日と今日と開く。今日行ってみたが、人出にぎやか。十円で一山のみかん(小さいのが二十個位)、一本五十銭のイモ飴、一皿二円から十円のおでんなどがみられた。
屋根のある家に、新|乾《ほ》し海苔《のり》とて、近頃にない色黒く艶よろしいものを発見、一帖八円のもの五帖買求めて土産にした。ほかにみかん十円。
高村悟君と、読売の元の講演部長小西民治氏とに行き会った。御両所とも敗残兵の如しだが、自分もまた御両所以上にひどい姿である。日本の現状をまざまざと二人の友人の上に見た。
梅蘭荘という中華料理屋が、ソバ屋のあとに出来ていた。目を見はらせる。しかし客はなく、総じて飲食店に客影はなし。かつてのボロ市では、飲食店が大繁昌したものだったが。
十二月二十日
◯昨日は山田誠君来宅。二日がかりで用意したおでんを、家族一同と共に囲んで食べた。
◯東宝からの招きで、世田谷通りの例の梅蘭荘で御馳走になり、わが胃袋をおどろかせた。本日の会合の目的は、来年の東宝の特殊技術映画「文化都復興」の技術的相談を受けたもので、山崎謙太氏と大いに談じた。
◯英、一昨日から口の右下におできが出来、苦しんでいる。ゲリゾンをのんだり、アルバジルをつけたり膏薬を貼ったり、諸策を講じているが、まだ治癒のきざしはない。
◯特別配給の「光」三十本に、多少ゆったりとタバコをふかす。
◯本年もあと十日。
十二月三十一日
◯ああ昭和二十年! 凶悪な年なりき。言語道断、死中に活を拾い、生中に死に追われ、幾度か転々。或は生ける屍となり、或は又断腸の想いに男泣きに泣く。而も敗戦の実相は未だ展開し尽されしにあらず、更に来るべき年へ延びんとす。生きることの難しさよ!
さりながら、我が途は定まれり。生命ある限りは、科学技術の普及と科学小説の振興に最後の努力を払わん。
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