を通り、五反田へ向かって電車は闇をついて走る。あぶなかしくもあり、何となく勇しくもある。戦闘前進中のようで……。
 雉ノ宮の坂を下るとき、右方に電気試験所の焼跡があるので、何か見えるかと思って窓から闇を透かしたが、何も見えない。いや見えた、灯が一つ。不用意の灯、試験所の宿直がそうなら呑気すぎる。
 電車は五反田駅前でぴたりと停る。「はい十銭」「はい定期です」乗客はおとなしく、車掌も「気をつけてくださいよ。足もとが暗いですから」といつになく親切だ。下におりたが、さて駅の改札はどこだかわからぬ。焼けてしまった上に、まっくらだからである。
 ようやく見つけて、女駅員に声をかける。「切符はどこで売っていますかね」「着駅で払って下さい」で通してくれる。「階段はどこ?」「まっすぐ行って右ですよ、右の壁を伝《つたわ》っていってください」なるほど、と壁をさぐりながら行く。ようやく見当がついた。階段より上がれば、高いホームの上は、案外空が明かるい。乗客が温和《おとな》しく電車を待っている。電車は間もなくホームへ入って来た。乗客がぎっしり詰まっていた。
 渋谷で降りる。朝倉、加藤両氏は帝都線であるから、そこで別れる。
 玉川線のホームに入ると、電車が一台待っている。「柴栗さん」というアダ名の張りきり助役さんが、声を張りあげてまっくらなホームにくりこんでくる乗客を整理している。「この電車は玉川行です。下高井戸行の方もこれに乗って下さい。警報がどうなるかわかりませんから、すこしでも先に行っておいて下さい」と、時宜に通じた注意を出している。
 くらやみの中に、ぎゅうぎゅうつめられる。能率がわるい。ひどく押される。三軒茶屋で降りて、乗替えを待つ。
 電車はなかなか来ず。そのうちB29の爆音が近づいて来る。「そらB公だ」と空を仰ぐが見えない。そのうちに遠ざかっていった。しばらくして、また爆音が近づく。「単発だ。味方機だよ」と誰やらが呟《つぶや》く。もうすっかり耳の訓練の出来ている都民たちだ。
 電車はまだこない。乗客たちは待ちあぐんで皆ホームに腰を下ろし、足をレールの方へ出し腰を据えた。
 夜気が冷えびえと頬のあたりへ忍びよる。太子堂の焼残った教会の塔が浮かんで見える。月がようやく東の空にのぼりはじめたらしい。夜空は大分明かるさを増した。

 七月三十日
◯昨夜は天竜川口で、敵米艦隊の艦砲射撃が
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