すると男女の学生たちは、みんな僕の前に集まって来て、透明|壁越《へきご》しに僕をしげしげと見まもるのだった。目をぐるぐる動かしておどろいている学生もあり、また大口をあいて呆《あき》れている学生もあった。カビ博士は、学生たちにはすこしも構わず、配電盤の前に立って計器を見上げたり、それから急ぎ足で、僕をのせている台の下へもぐりこんだり、ひとりで忙しそうに動いていた。そんなわけだから、博士はもちろん僕の訴えていることに聞き入る様子はなかった。
「ねえ諸君。おたがいに人格を尊重しようじゃないですか。膝をつきあわせて、僕は観察されることを好むものである。諸君は、なによりもまずこの透明な牢獄の壁を持上げて、向うへ移動して下さるべきである。さあどうぞ、諸君、手を貸して下さい」
男女学生たちの表情には、あきらかに興奮《こうふん》の色が現われた。その興奮をきっかけに、彼等はこの透明壁へとびついて持上げてくれるかと思いの外《ほか》、彼等は肩越しに重なりあって僕の方へ首をさしのべるばかりであって、僕の注文に応じてくれる者はひとりもなかった。僕はがっかりすると共に、新しい憤《いきどお》りに赤く燃えあがった。
そのときだった。のぼせあがった頭が、すうっと涼しくなった。憤りが、急にどこかへ行ってしまったような気がする。
と、ぼッと目の前がうす紫色に見えだした。よく見ると、それは透明碗の壁《かべ》が、どうしたわけかうす紫色に着色したのである。なおよく見ると、それは縞《しま》になっている。そして縞がこまかくふるえている。――僕はますます爽快な気持ちになっていった。
が、変なことが起こった。僕の来ている服が、いやにだぶだぶして来た。そして服が、僕のからだから逃げようとするではないか。
(へんてこだぞ、これは……)
誰か、見えない人間が僕のまわりにいて、僕の服を脱がそうとしてひっぱっているようでもある。まさか、そんな人間があろうとも思われないけれど。
服が脱がされては困る。僕は忙しく、一生けんめい自分の服のあっちを引張り、こっちを引張りして、目に見えない相手と力くらべをした。
ああ、しかし、服は僕の力にうち勝ち、からだから、手から足から、逃げだした。僕がやっきになって一人|角力《ずもう》をとっているうちにとうとう僕は赤裸《はだか》になってしまった。
「これが二十年前の彼の姿である。非常に興味のあるからだを持っている。よく観察されるがよろしかろう」
これはカビ博士だった。
見ると、博士はいつの間にか、透明碗の側に立って、僕の方を指して講義を始めているではないか。学生たちも、今までにない真剣な顔で、僕を穴のあくほど見つめている。僕ははずかしさのあまり、全身が火と燃える思いであった。男学生はともかく、女学生に僕の赤裸《はだか》を見られていると思うと、消えて入りたかった。僕は、逃げだした服を追いかけた。が、碗の壁のそばにぽっかりとあった穴の中に、僕の服はするすると入ってしまって、僕は捕《つか》まえそこなった。
「二十年前の人間は、悪病と栄養失調と非衛生とおどろくべき無知無能のために、このような衰弱《すいじゃく》したからだを持っている。よくごらんなさい。これでも十五歳の少年なのである」
十五歳の少年? カビ博士は、なんというばかなことをいっているのだろうと、僕はふきだしかけて、そのときはっと気がついた。
手を顔にやってみたところが、髭《ひげ》がないではないか、あのぴーンと立てた僕の特徴になっている髭がないのだ。僕は自分の手を見た足をみた。手足はいつの間にか小さくなっていた。
(ああッ、僕は元の少年の姿になっている。時間器械が働かなくなったのか。元の世界によびかえされたのか。それとも……)
と、少年の姿に戻った僕は大狼狽《だいろうばい》であたりを見まわした。ところが僕の前にはさっきと同じく、十四五人の男女学生やカビ博士が熱心に僕を見つめている。
これは一体どうしたわけか。
興奮《こうふん》する学生
いつの間にか十五の少年の姿に戻された僕は、カビ博士とその学生たちの前で、さんざんに標本として勤《つと》めさせられた。
博士は、僕の健康や知能の欠点ばかりを探して、学生たちに講義をした。口を大きくあけさせて、虫くいだらけのらんぐい歯を見せさせたり、肺門《はいもん》のあたりにうようようごめている結核菌《けっかくきん》を拡大して見せさせたり、精神力の衰弱状態を映写幕の上に波形《なみがた》で見せさせたり、そのほかいろいろなことをやってみせた。僕は、なるべく聞いてないことにしたけれど、やっぱり博士の講義が耳に聞こえた。そして僕は、自分のからだが、まるで半分くさった日かげの南瓜《かぼちゃ》のように貧弱きわまるものであることに恥じ、且《か》つ自分で自分がいやになった。
カビ博士の講義がすむと、こんどは男女学生が、僕のからだをいじりまわした。それは直接手でいじるのではなく、ぴかぴか光った長い消息子《しょうそくし》のようなものを、透明碗の外から中へつきたて、その先についている五本指の触手《しょくしゅ》みたいなものによって、僕のからだをいじるのであった。僕には、いくら圧《お》しても鋼鉄の壁のように硬くて動かない透明碗の壁を、学生たちが消息子を手にとって壁につきさすとかんたんにぷすりとそれをつきとおしてしまうのであった。なんの力を利用したのか、すごい力だ。しかし消息子の先についている触手《しょくしゅ》は、手ざわりのよいやわらかいものであったから、こっちのからだは痛みはしなかったが、そのかわりみんなが無遠慮《ぶえんりょ》に十何本もの消息子でもって僕の腋《わき》の下でも咽喉《のど》でも足の裏でもお構いなしにさわるので、くすぐったくてやりきれなかった。
その間に、僕に話しかけてくる学生もいた。僕はやりきれなくていい加減《かげん》な返事をしてお茶を濁《にご》した。全くやりきれない。この世界に停《とどま》っていたいがために、こんな苦痛をこらえているわけであるが、ずいぶん、がまんがなりかねる。
「博士。標本人間の肌の色が変って来ましたですよ。足なんか長くなりました」
よく喋《しゃべ》りまわっている一人の女学生が、カビ博士の胸を叩いて注意をした。
博士は眉をあげて僕の方を見た。
「ははあ、なるほど。磁界《じかい》がよわくなったらしい。君、ダリア嬢。あの配電盤の黄いろの3という計器の針を18[#「18」は縦中横]のところまであげてくれたまえ。そうだとも、もちろんその計器の調整器《ちょうせいき》のハンドルをまわしてだ」
ダリヤ嬢とよばれた猿の生まれかわりみたいな顔のお喋《しゃべ》り姫は、博士に命ぜられると、すぐ配電盤のところへ行って、そのとおりにした。
すると僕は気分が急に悪くなった。見ると自分の足が小さく縮《ちじ》んでいく。肌色がわるくなる。――どうやら僕はある器械が出している磁場《じば》の中にいるらしく、そして今しがたその場の強さがよわくなったので、僕のからだは二十年後の世界の方へ滑《すべ》り出《だ》したものらしい。それを今ダリヤ嬢が場の強さをつよくして元へ戻したものらしかった。
とにかく妙な仕掛を使っているらしい。それはそのあたりに並んでいる装置《そうち》のうちのどれからしいが、時間器械と同様な働きをするものらしい。
いや、それはそのとおりであることが、後になって学生と博士との会話によって知れた。僕はそれを知って、むしろ安堵《あんど》の胸をさすった。カビ博士の器械によって、一時僕が二十年前に戻されているのは我慢できる。なぜなら待っていれば、博士はこの海底都市の世界へ私を戻してくれることは間違いないからである。しかし、もしかの学友辻ヶ谷君の手によって、二十年前の焼跡へ戻されたなら、これは僕の楽しみにしている時間旅行がここで中絶してしまうことを意味する。――どうぞ“辻ヶ谷君よ。僕のことは忘れて、僕が満足するまでどうぞ僕を二十年後の海底都市で生活させてもらいたい。このことを君に確実に通信できないので、実は僕はいつでもびくびくしているのだよ”
標本勤務は一時間で終った。そこで僕は元のはねあがった髭《ひげ》の大人の姿へかえされ、服も着た。僕はようやく安心した。博士は僕を透明碗から外へ出してくれた。
「本間君。どうじゃったね。標本勤務は、あんがい楽なものだろう」
博士は、今までになく機嫌《きげん》のいい調子で、僕に話しかけた。
「いやいや、僕はうんと疲《つか》れましたよ」
「それはあとで食事をすれば、たちまち直るから心配ない」
「そうですかね……それにあの学生さんたちが無遠慮《ぶえんりょ》に僕のからだをいじりまわすので閉口《へいこう》しました」
「おいおい慣《な》れれば、大した苦痛じゃなくなるよ。なにしろ学生たちは君に対して異常な興味をもっている。だから君は今後ますます大切に扱《あつか》われるだろう」
「そんなに彼等は興味を持っていますかね」
そのことが災難の火の元だとは知らずに、僕はむしろ得意になって聞きかえした。
五頭《ごとう》パイプ
カビ博士の顔の下半分は黒い毛でうずもれている。その毛むくじゃらの草原のまん中が、ぽっかりあくと、赤いものが髭越《ひげご》しに見える。それは博士の口の中の色である。この赤いきんちゃくのような口は、ひろがったりすぼまったりして、よく動く。そして髭の中から博士のがらがら声がとび出して来るのである。
博士は、僕との対談のうちに、安全|剃刀《かみそり》の柄《え》をくわえた――と見えたが、それから煙が出てくるところを見ると、それは安全剃刀ではなくて、どうやら煙草のパイプの類らしいことが分った。
普通のパイプは、煙草をつめる火皿、すなわち雁首《がんくび》が一つである。ところがカビ博士が口にくわえるパイプには、五つの雁首が並んでいるのだった。そしてそれに一々火をつけるわけでもないのに、雁首から煙がゆらゆらとあがった。
その煙のあがり方が愉快だ。五本の雁首から五本の煙があがって、煙突だらけの工場そっくりになるかと思うと、次の雁首の一つだけが煙がゆらゆら立ちのぼる。そうかと思うと、こんどは三本から立ちのぼる。それを見ていると、まるで煙の音楽会というか、煙の舞踊《ぶよう》会というか、たしかに或るリズムに乗って煙がふきだしてくるのであった。
もちろん、その合間合間には、博士の髭《ひげ》だらけの中から、別にもうもうたる煙がふき出てくる。
「先生は、煙草がお好きと見えますね」
僕は、素直に感想をのべた。
「うん。わしは連日《れんじつ》、脳細胞を使い過ぎるので、どうしてもこれをやらないと、早く疲労《ひろう》がとれないのじゃ」
「ずいぶん変わった形のパイプですね。そんなパイプが海底都市では、はやるのですか」
「はやるというわけではない。これはわしの考案したものでな、ほかにはない特殊のものじゃ」
「煙の出るところが五つもありますね」
「そうだ。五種類の薬品をつめこんであるのだ。それを適当に蒸発せしめて、或る特殊のリズムで脳神経に刺戟をあたえる。このリズムを決定することがむずかしい」
「なるほど。僕もそのリズムの利用には気がついていましたよ。面白い療法ですね。どんな味がするか、僕にもちょっと吸わせてください」
「いや、いけない!」
博士は目をくるくるさせてパイプをポケットに隠《かく》した。
「君なんかが吸うと、とんでもないことになる。絶対にいけない」
博士の狼狽《ろうばい》ぶりを、僕は意外に感じた。
「君に警告しておくが、君は実在の人間ではなく、イマジナリーの人間なんだ。それを忘れないようにしなければならんね。つまり何でもわれわれと同じには、やれないってことを、よく頭にいれておいてもらいたい」
イマジナリーの人間! それはそうだ。僕は二十年後の世界へ先走りをして生活をしているのだから。
「君は何も知らないが、君の実在する世の中からその後二十年経つ間に、文明はあらゆる方面において驚異《きょうい》的な発展進歩をとげ
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