もしれません」
「ははあ、考古学者ですかね」
 僕は急に自分がかびくさい人間になってしまったような気がした。
「あるいは、医科大学の標本室へ入れておかれる手もありますがねえ」
「ああ、それも悪くないですね。大学生を相手に、僕が話をしてやればいいのでしょう」
「それもありますけれど、主な仕事は、はだかになって、身体をいじらせることです。男の大学生も女の大学生も居ますが、この二十年に人類ばどんな進化をしたか、性能はどんなに変化したか、それを器械で調べるのです。なにしろ学生なもんで、扱い方が乱暴で、一二ヶ月のうちに手足がもげてばらばらになってしまうそうです」
「ああ、それは駄目だ」
 手足がもげてばらばらになるなど、うれしいことではない。
「やっぱり考古学の方がいいですね。どこかに親切な思いやりのある学者を御存じでしょうか」
「そうですね」カスミ女史は目をぱちぱちさせていたが、
「実は私の夫のカビ博士は考古学者なんです。話をしてみたら、あるいはあなたが欲しいというかもしれません。でもね、あなたは辛抱《しんぼう》なさるでしょうか」
 僕はよろこんだ。カスミ女史の夫なら、きっといい人であろう。
「辛抱はしますよ。僕、これでなかなか辛抱づよいのですからね」
「でも、私の夫のカビ博士は、学問に熱心のあまり、時には気が変になるのですよ」
「え、気が変に? いや、それでもいいですよ、僕がこの国に停《とどま》っていられるなら……」
 前後も考えず、僕は決めてしまった。


   考古学教室


 このすばらしい海底都市に、もっと永く居たいばかりに、僕はいろいろと苦労をしなければならなかった。
 僕の欲が探すぎると責《せ》めてはいけない。誰だって僕みたいな境遇《きょうぐう》におかれるなら、きっと僕と同じ考えをおこすにちがいない。なんにしても二十年後のこのすばらしい海底都市の文化発達のありさまを一目見た者は、もとの焼跡《やけあと》だらけの、食料不足の、衣料ぼろぼろの、悪漢《あっかん》だらけの一九四八年の東京なんかに戻りたいと誰も思わないだろう。
 そのように、元の東京へ戻りたくないのであるが、僕を時間器械にのせてここへ送ってくれた、友人辻ヶ谷君は、いつその器械をまわして、僕をもとの焼跡へよび戻すかしれないのだ。彼との約束は僕がたった一時間だけ、二十年後の世界を散歩することだった。こうと知っていたら、半年か一年の長期にわたる逗留《とうりゅう》を頼んでおいたものを。
「しかし、僕がこの海底都市へ来てから、もう一時間どころか、すくなくとも十時間ぐらい経《た》っている。辻ヶ谷君は、僕との約束を忘れているのかなあ。もう一年か二年、忘れていてくれるといいんだが、とにかく、いつ元の焼跡へ呼び戻されるかと思えば、全く気が気じゃないや」
 幸いにもカスミ女史が、その夫君《ふくん》である考古学者カビ博士を紹介してくれたので、なんとかうまくやってもらえるかもしれない。
 だが、聞くところによると、カビ博士はかなり変り者らしい。きげんをそこねないで、うまくやってくれるといいが、もしそうでないときは、たちまち僕を冷凍人間にしてしまうかもしれない。気がかりなことではある。
 タクマ少年に案内されて、例の動く道路に乗り、方々で乗換え、やがて大学へ着いた。すばらしい構内だった。通路の天井《てんじょう》が非常に高く、千メートル以上もあるような気がした。そのことをタクマ少年にいうと、少年は笑いをかみころしながら、
「天井の高さは、ほんとうは三十メートル位しかないんです。しかし照明の力によって、上に大空があると同じような錯覚《さっかく》をおこすようになっているのですよ」
 と、説明してくれた。
 僕は感心した。この進歩した海底都市では、人間の気分ということを大切に扱っている。気分を害するようなことは極力《きょくりょく》さけ、そしてすこしでも人間の気分をよくして生活を楽しませるように都市|施設《しせつ》や居住施設が工夫せられている。だからこの都市の人々は、誰もみなよく肥《ふと》って居り、血色もよく、元気に見える。声だって、みんなあたりへひびくようなでかい声を出す。どこからか息がすうすう抜けているような、あの焼跡で聞く虫細い声なんか、いくら探してもない。
 考古学教室は、五区の左側にある赤い煉瓦《れんが》づくりの古風な二階建であって、まわりには銀杏樹《いちょう》とポプラとがとりまいていた。僕はこの見なれた風景に、うっかりここが海底都市であるということを忘れるところだった。
「わざわざ、あのように赤煉瓦《あかれんが》なんかを使って建てたんです。なにしろ考古学の研究をするんですものねえ」
 とタクマ少年はあいかわらず忠実に案内役をつとめる。
「銀杏樹《いちょう》やポプラを植えこむには、ずいぶん困りました。でも、赤煉瓦のまわりには木がないと、考古気分が出ないというわけで、いろいろと工夫《くふう》をこらして、やっと成功したのです。ご承知でしょうが、樹木というものは、太陽がないと育たないものですからね」
「ふん。そのとおりだ」
「で、つまり成功した工夫というのは、人工で、太陽と同じ成分の光線の量を、この樹木だけに注ぎかけてあるんです。その器機は天井にありまして、あらゆる方向からこの樹木を照らしています。しかし私たちの目では、普通の照明とはっきり区別しては見えないのですけれど」
「そうかね。なんでも工夫をすると道は見つかるんだね」
「さあ、教室へ入ってみましょう。姉からも申したと思いますが、義兄《ぎけい》のカビ博士はたいへんな変り者ですから、何をいいましても、どうか腹をお立てにならないようにお願いいたします」
「大丈夫だとも。僕は十分心得ているよ」
 僕たちは古風なせりもちの下をくぐって、建物の中に入った。中世紀《ちゅうせいき》の牢獄の中かと疑うほどのうすぐらい廊下を二三度曲って奥の方へ行くと、タクマ少年は一つの扉の前に足をとどめた。扉には、「教室カビ博士|私室《ししつ》」という名札がかかっていた。
 と、いきなりその扉が動き出したと思うと壁の中にはいってしまった。開いた戸口に、頭の大きな一人の異様な人物が白い実験着をつけて現われ、僕をにらみつけた。
 その顔に、どこか見覚えがあった。


   標本勤務《ひようほんきんむ》


「カビ教授、ここにお連れした方がさっきテレビ電話でお話した本間さんでいらっしゃいます。どうぞよろしく」
 タクマ少年は、あざやかに僕をカビ博士に紹介してしまった。カビ博士は少年の義兄《ぎけい》に当たるんだから「ねえ兄さん」とでも呼びかけるかと思いの外《ほか》、そうはしないで「カビ教授」などと、しかつめらしく名を呼ぶところが、なんだかわざとらしかった。だが、それも博士が、特別なる変人だから、そのようにしかつめらしく扱うのかもしれなかった。
「君はちゃんと勤めるだろうな。途中で逃げ出すようなことはなかろうな。もしそんなことがあると、わしは君を保護することに責任がもてないんだ。今はっきり誓いたまえ」
 カビ博士は、あいさつも抜きにして、いきなり僕の頭の上で、かみつきそうないい方で、わめいた。
 僕はもちろん、勤めは怠《なま》けないから、ぜひ保護をしていただきたいと頼んだ。
「ふむ。では契約《けいやく》した。学生が待っているから、早速《さっそく》標本《ひょうほん》になってもらおう。こっちへ来なさい」
 博士は廊下へ出ると、すたすたと右手の方へ歩き出した。その足の速いことといったらまるで駆足《かけあし》をしているようだ。僕は博士を見失ってはたいへんと、けんめいに後を追いかけた。そしてタクマ少年と、どこで別れてしまったのか知らないほどだった。
「なにをまごまごしている。ここだ、ここだ」
 博士のわれ鉦《がね》のような声にびっくりして、僕は博士が手招《てまね》きしている一つの室へとびこんだ。
(あっ、いい室だなあ)
 思わず僕は感嘆《かんたん》の声を放った。
 なんという気持ちのいい室であろう。室は小公会堂《しょうこうかいどう》ぐらいの大きさであるが、まるで卵の殻《から》の中に入ったように壁は曲面《きょくめん》をなしていてクリーム色に塗られている。清浄《せいじょう》である。そしてやわらかい光線がみちみちていて、明るいんだが、すこしもまぶしくない。
 室の中には、やまと服を着た男学生と女学生とが十四五名集まっていて、カビ博士と私を迎えた。男学生と女学生の区別は、男学生の方はぴったり身体にあう服を着ていて、身体の形がそのまま外に現われているのに対し、女学生の方は背中にひだのある短いカーテンのようなものを垂《た》らしていた。それから頭髪の形もちがっていて、女学生は髪を細い紐《ひも》みたいなものでしばっていた。
 カビ博士は、僕を連れて、室の中央まで行って、学生に紹介した。
「これは本間君といって、今から二十年前の人間だ。いいかね、二十年前だよ」
 学生たちは、黙ってうなずいた。非常におとなしい学生たちである。そして博士のいった事柄《ことがら》に、べつにおどろいている様子はなかった。僕は意外に思った。
「二十年前の人間と、現代のわれわれとの間に、いかなる人体上の差違があるか。この興味ある問題について、諸君はこれから好ましき一つの機会があたえられるであろう――さあ、装置を出すから、うしろへ下ってくれたまえ」
 博士がそういって、自分も五足六足うしろへさがった。学生たちも下がって、互いに間隔《かんかく》の広い円陣《えんじん》がつくられた。
「ええと……装置のエル百九十九号。二百一号、二百二号、二百三号。それからケーの十二号、四十号、八十号。それだけ」
 カビ博士は天井の方を向いて、まるで魔術師のように、装置の番号をいった。
 すると、目の前におどろくべきことが起った。それまでは一面に平らな床《ゆか》であったものが、博士のことばが終るか終らないうちに、まるで静かな海面に急に風が吹きつけて波立ちさわぎ出すように、床がむくむくと動き出し、下から妙な形をしたものがせりあがって来た。それはすべて、にぶい金属|光沢《こうたく》を持った複雑な器械類であった。ほんのしばらくのうちに、円陣の中にはりっぱな実験装置が出来上がった。
 平《たい》らな劇の舞台の上に、とつぜん大道具が組立てられ、大実験室の舞台装置が出来上ったようなものであった。その派手《はで》な大仕掛《おおじかけ》には、僕はすっかり魅《み》せられてしまって、ため息があとからあとへと出てくるばかりだった。
 この装置群の中央に、直径が一メートルに三メートルほどの台があり、その上に透明な、やや縦長《たてなが》な大きな硝子様《ガラスよう》の碗《わん》が伏《ふ》せてあった。そしてその中の台の上には、何にもなかった。そのくせ、まわりの各装置は、うるさいほどに、さまざまな器械器具によって組合わされているのだ。
「おい本間君。この中に入ってくれたまえ」
 博士はそういうと、いきなり僕の背中を押して、前へついた。と透明《とうめい》な大碗《おおわん》が、すっと上にあがった。その下へ僕がころがりこむのと、その透明な大碗が落ちて来てその中に僕をふせるのと、同時だった。


   時間軸《じかんじく》逆《ぎゃく》もどり


 大きな透明の碗《わん》の中にふせられてしまった僕は、覚悟の上とはいいながら、やはりあわてないでいられなかった。僕は碗から外へ逃げだし、行動の自由をとりかえしたいと思って、碗の内側をぐるぐると這《は》いまわった。が、どこにも脱けだすすき間は見つからなかった。
 僕は、透明な碗のふちに手をかけて、この碗を持ちあげることを試みた。だが、それもだめだった。碗は非常に重い。カビ博士はあのようにこの碗をかるがるとあつかったのに……。
「もしもし、僕をここから出して下さい。いくら僕が標本勤務をひきうけたといっても、こんなに人格を無視した監禁《かんきん》をするなんてけしからんじゃないですか」
 僕は大憤慨《だいふんがい》をして、透明碗の壁を両手でたたき続けた。
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