食事が終ったあとで、かねて会いたいと思っていたカスミ女史と初対面《しょたいめん》のあいさつをとりかわした。
 カスミ女史は、タクマ少年の姉さんであり、そしてこの料理店ヒマワリ軒の経営者であった。僕は、この海底都市において、はじめて婦人と話をする機会にぶつかったわけだ。
 女史は、年のころ二十歳と思われる。まだうら若い婦人であった。ひじょうに美しい人で、目鼻だちがよくととのって居り、口許《くちもと》は最も魅力に富んでいたが、そのつぶらな両眼は、どんな相手の心も見ぬきそうな知的なかがやきを持っていた。
 いや、事実カスミ女史は、なみなみならぬすぐれた頭脳の持主であり、その後、僕は女史からさまざまな指導をうけ、あやうい瀬戸《せと》ぎわをいくたびも女史に助けられた。それはいずれ綴《つづ》っていくつもり。とにかく女史と二人きりで語り合った初対面は、非常に印象的なものであった。
「ああ、本間さんでいらっしゃるの。弟をたいへん愉快に働かせて下さるそうで、お礼を申します」
「いや、どうも。僕の方こそ、タクマ君にたいへん厄介をかけていまして、恐縮《きょうしゅく》です」
「そうなんですってね、あなたからすこしも目が放せないといって、弟が心配して居ましたわよ。当地ははじめてなんですってねえ」
 僕は、カスミ女史からずけずけいわれて、顔があつくなるのをおぼえた。
「はい、はじめてですから、万事《ばんじ》まごついてばかりいます」
「一体あなたはどこからいらしたんですの」
 痛い質問が、女史の紅唇《こうしん》からとび出した。僕はどきんとした。
「ちょっと遠方《えんぽう》なんです」
「遠方というと、どこでしょう。金星ですか。まさか火星人ではないでしょう」
「ま、ま、まさか……」
 女史の質問に僕はどんなに面くらったことか。これでも僕は人並《ひとなみ》の顔をしているつもりである。それを女史はまちがえるにも事によりけりで、僕を火星人ではないだろうか、金星から来た人かと思っているのである。事のおこりは、僕がいった「遠方」という言葉をとりちがえたにしても、あまりにひどいとりちがえかたである。
「では、どこからいらしったの。ねえ本間さん」
 困った。全く困った。僕は困り切った。嘘をつくのはいやだし、それかといって本当のことをいえば、怪《あや》しき曲者《くせもの》めというので、ひどい目にあうにちがいない。
「ほほほほ。ほほほほ……」
 とつぜんカスミ女史は、声高く笑いだした。
「よく分りました。やっと今、分ったんです。まあ、そうでしたか、ほほほほ」
 僕は目をぱちくり。気持ちが悪いったらない。女史は何をひとり合点しているのであろうか。
「ねえ本間さん。あなたのいらしたところは……」
 と、女史は僕の耳に口をつけて、
「あなたは、うそつきの人間ですね。本当の人間じゃないんですね。あなたは二十年前か十五年前の人間で、こっそりこの世界に忍びこんで来たんでしょう。どうです、ちゃんと当ったでしょう。白状《はくじょう》なさい」
 僕は全身に汗をかいて、今にも顔から火が出そうであった。
「はッ。それは……それはご想像にまかせます。しかし一体それは、なぜお分りになったんですか」
 これまでに僕の正体を見破った者はひとりもないのだ。しかるにカスミ女史は、何を証拠《しょうこ》に、断定《だんてい》したのであろう。
「いってあげましょうか」
 女史はくすくす笑った。
「あなたの影法師《かげぼうし》を、よく見てごらんなさい」
「えっ、影法師ですって」
「そうです。うしろをふりかえってごらんなさい。壁にうつっていますね。ほほほほ」
 僕は、ぎょっとしてうしろをふりかえった。
「ああッ、これは……」
 壁にうつっている僕の影法師! なんとそれは大人の影法師ではなく、坊主頭《ぼうずあたま》の子供の影法師だった。つまり僕は今大人の姿をしているが、壁にうつっている影法師は子供の姿をしているのだった。僕が時間器械に乗って、二十年後の世界にもぐりこんでいることを影法師ははっきりと語っているのである。僕は身体がすくんでしまう思いで、頭をかかえた。
「たいへんよ。気をつけなくては……。もし検察官《けんさつかん》に知れると、あなたは密航者《みっこうしゃ》として、たいへんな目にあわなくちゃならないわよ。一体どうなさるおつもり?」
 女史の言葉に、僕は塩をふりかけられたなめくじのように、いよいよ縮《ちじ》まった。


   密航者狩《みっこうしゃがり》


 あんなにおどろいたことは今までにない。僕は大人になっているつもりで、なまいきな口をきいているのに、僕の影法師は、いが栗《ぐり》の頭の子供なんだ。そして、それをヒマワリ軒の女主人カスミ女史に言いあてられてしまったのは、一層きまりの悪いものだった。僕の顔は火が出そうにあつくなった。
「実は………実は……」
 僕は、先生の前に出たいたずら小僧《こぞう》の様《よう》に、どもった。
 カスミ女史は、こっちをみて、にやにや笑っている。女史の方からみれば、僕がこんなに困っているのが面白くてならないのだろうがこっちは全身|汗《あせ》だくである。
「実《じつ》は、僕は二十年前の世界から時間器械に乗って、当地へやってきた本間という生徒なんです。申訳《もうしわけ》ありません」
「申訳ないことはありませんけれど、よくまあそんな冒険をなすったものねえ」
「はっ。ちょっと好奇心にかられたものですから……」
 僕は頭をかいた。
「僕は見つかると、ひどい目にあうでしょうか」
「それはもちろんですわ」
 女史は急にこわい顔になって肩をそびやかした。
「この国では時間器械による旅行者を厳重《げんじゅう》に取締っているのです。というわけは、あまりにそういう旅行者がこの国へ入りこんで、勝手なことばかりをして、荒しまわったものですから、それで厳禁《げんきん》ということになってしまったのよ」
「ははあ。彼等は一体どんなことをしたんですか」
「いろいろ悪いことをしましたわ、料理店に入ってさんざんごちそうをたべたあげく、金を払わないでたちまち姿を消してしまったり……」
「ああ、ちょっと待って下さい」
 僕は、すっかり忘れていたことを思いだして、あわてて声をはりあげた。
「そういえば、僕はまださっきの食事のお金を払ってありませんでしたね。今お払い致します」
 僕は、ポケットをさぐってみた。実は、ポケットにお金の入っている自信はなかった。こっちへ来るについて、お金の用意なんかしなかったので、恐《おそ》らくどのポケットにもお金なんか入っていないことであろう。大失策《だいしっさく》だ。僕はいよいよこの国の罪人《ざいにん》になるほか道がないのだ。困ったことになった――おや、ポケットの中に、何かあるぞ蟇口《がまぐち》みたいなものが……。
 僕は、おそるおそる、それをポケットから出してみた。青い皮で作ってある大きな蟇口。
(あっ、蟇口だ! 相当重いぞ!)
 僕は夢に夢見る心地で、蟇口をあけた。
(ほほッ、すばらしい! 金貨が入っている!)
 本当だ。大きな蟇口の中には、ぴかぴか光る金貨が百枚近くも入っていたではないか。
(どうしてこんなすごい大金が、僕のポケットの中に入っていたのだろう)
 僕は不思議で仕方がなかった。
 しかし今は、その不思議を追っているひまがない。なぜなら、僕の前にはカスミ女史が待っている。
「どうぞ、この蟇口の中から、料理代をお取り下さい」
 料理代はいくらか知らない。たとえ料理代は何万円だといわれても、この金貨は一体いくらの金貨か分らないから、蟇口の中からその何枚を出していいか分らない。だから蟇口ごと女史の前にさし出したのである。
「まあ、たくさんお金を持っていらっしゃるのね。……料理代は、その金貨一枚をいただいて、おつりをさし上げますわ」
「そうですか」
 女史は蟇口の中から金貨を一枚つまみあげ、戸棚のところへ持っていって引出《ひきだし》をあけて、何かがちゃがちゃやっていたが、やがて何枚かの銀貨を持って戻って来た。
「はい、おつりです」
「こんなに沢山のおつりですか」
 僕はおどろいた。二十年後の世界は物価《ぶっか》がたいへんやすいようである。
 女史が元の席へ戻ったので、僕はさっきの話のつづきをしてくれるよう頼《たの》んだ。
「もうその話はよしましょう。あなたに悪いことを教えては、よくありませんから」
 女史はそのことについては、もう口をつぐんでしまった。
「とにかくそんなわけで、時間器械による密航者が見つかると、警察署は直《ただ》ちにその密航者を冷凍してしまうのです」
「冷凍? へえッ、どうして冷凍になんかするのですか」
 僕は目まいがして来た。
「冷凍にすると、もう時間の上を歩けなくなってしまうんです。人体を形成するあらゆる物質――すなわち電子も陽子《ようし》も中性子《ちゅうせいし》もみんな活動を極度に縮めてしまうので、人間は丸太ン棒と同じになります」
 女史は、鼻をつんと高くした。


   合法的《ごうほうてき》滞留《たいりゅう》


 時間器械を使ってこの国へもぐりこんだ密航者は、見つけ次第《しだい》、警察の手によって冷凍されてしまうと聞いて、僕は寒気を催《もよお》した。
「冷凍されちまうと、もう絶対にこの国から逃げ出せませんですかね」
 僕は未練《みれん》なようだが、更にカスミ女史に聞きただした。
「それはもちろんそういうわけでしょう。かんじんの本人が冷凍されちまって、脳も働かなくなり、細胞もなにも凍ってしまえば、動きがとれないじゃありませんか」
「そうですかねえ。そして、それからどんな目にあうんですか。つまり刑罰《けいばつ》の重さはどんなものでしょうね」
「罰の重い軽いに従って、冷凍時間に長い短いがあります。また、たびたび罰を重《かさ》ねる悪質の者は、永久冷凍にして、物置などの壁の材料に使われます」
「永久冷凍にして、物置などの壁の材料に使うというと、どんなことになるんですかね」
 僕には、カスミ女史の言葉の意味がはっきりのみこめなかった。
「つまりそれは、永久冷凍なんだから、コンクリートや煉瓦《れんが》や材木などと同じような固い材料なんですからねえ。ですから冷凍人体をたくさん積みあげ、壁などをこしらえるわけです。冷凍の物置などにはよく使われていますよ」
 おやおや、たいへんな目にあうものだと、僕は気持ちがわるくなった。百年も千年も、物置の壁になって暮しているなんて、人間のやることではない。
「なんとか合法的に、この国に停《とどま》る道はないものでしょうか」
 冷凍物置の壁にされちまわない先に、なんとか安全な道をとっておきたいものだと考えた。
「そうですね」
 カスミ女史は首をかしげる。
「ないことはありませんが、手続きがなかなか面倒でしてね……」
「手続きの面倒なくらいはいいですよ。なにしろ冷凍人間になってしまわない先に、その手を打っておかないと、後悔《こうかい》してもおいつきませんからね。どうぞその方法を教えて下さい。それは一体どうすればいいのですか」
「それはね……でもたいへんなのですよ、そのことは……」
 と、カスミ女史はいいにくそうにしている。
「早く教えて下さい。どんことでも、僕はおどろきやしませんよ。とにかく何かの合理的な手段によって、この国で当分暮すことが出来れば、たいへんうれしいのです」
 実は、僕は例の黄金をこの国から持ち出して、本当の東京へ土産に持って行こうという気を起こしているのである、しかしこのことはうっかり誰にももらすことが出来ない。そんなことが分ったら、それこそ僕は永久に冷凍されちまって壁の代用品にならなければならない。
「その方法の一つは、研究材料になるのです。つまり、あなたの場合なら二十年前の人間として、二十年前あるいはそれより以前《いぜん》の生活や社会事情や人格《じんかく》や嗜好《しこう》、言動《げんどう》、能力などといういろいろな事柄《ことがら》を研究する材料になることですね。それなら考古学者《こうこがくしゃ》が欲しいというか
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