トロ族の委員長らしい魚人は、はっきりと要旨《ようし》をのべた。他の魚人たちは、頭を僕の方へつきだして、今にもとびつきそうな恰好である。
「君の申し出は分った。われわれは侵入を正しいとするものではない。われわれは君たちがこんなところに住んでいることを全然知らなかったのだ。やむを得ず地上の生活を放棄して、この海中海底に下って来たのであるが、まさかこんなところに君たちが住んでいるとは思わないものだから、どんどん工事をすすめて海底都市を建設したのである。これだけいえば、われわれに不正な侵入の意図のないことを知ってもらえるだろう」
 僕は、秘密のうちに、後方のカビ博士からの指示をうけながら、雄弁《ゆうべん》に述べたてた。
「われわれが住んでいるとは知らなかったというが、それは本当だとは思われない。われわれのことについては、地上にもその文献が残っているはずだし、またわれわれの一部は地上にも残留《ざんりゅう》していて、われわれの移動についても物語ったはずだ」
「そんなことは知られていない。地上ではたびたび人類を始め生物が死に絶《た》えたことがある。少なくも三回の氷河期や、回数のわからないほどの大洪水《だいこうずい》、おそろしい陥没地震《かんぼつじしん》などのために、地上の生物はいくたびか死に絶え、口碑伝承《こうひでんしょう》もとぎれ、記録も流失紛失《りゅうしつふんしつ》して、ほとんど何にも残っていないのだ。ねえ、分るだろう」
「しかし、どうだろうか。あれほどの巨大無数のものが完全に失われたとは思わないが、まあそれはそれとして――その外にもわれわれは、侵入の君たちに対して、たびたび警告を発している。しかるに何の誠意も示さないのはけしからん」
「いや、それも君たちが一方的に警告を発しているだけであって、われわれにはそれが通じなかったのだよ。通じなければ何にもならない」
「ふふん、ヤマ族は昔ながらに劣等なんだ。われわれとの知恵《ちえ》の差はその後ますますひどくなったものと見える」
 魚人は嘲笑《ちょうしょう》の意をはっきり示した。
「それを知っているんなら――つまり君たちトロ族が、われわれよりずっと文化的に進歩していることを知っているんなら、君たちはわれわれを親切に指導してくれなくてはならない。それをだ、むやみにあざ笑ったり、またわれわれをおそろしがらせたり、不意打《ふいうち》のひどい攻撃を加えたりするのはまちがっていないかと思うが、どうだ」
 僕は、ここぞと熱弁《ねつべん》をふるった。
「それこそ君たちの一方的な考え方だ。とにかくわれわれの現《げん》に蒙《こうむ》っている損害を見てくれれば、どっちの主張が正しいか分るのだ。われわれは今までに、がまん出来るだけのがまんをして来た。しかしもうこの上はがまんが出来ないのだ。君はこれから海底の下へおりて、われわれの蒙っている実害を視察するのだ。その上で改めて君の釈明《しゃくめい》を聞こう」
 海底の下へ――とは、海底の下に、まだ国があるのだろうか。彼等トロ族の住んでいる国がそこにあるのだろうか。魚人《ぎょじん》は、僕を海底のまたその下へ引きずりこもうとするのだ。どうしよう。行こうか、それとも断《ことわ》ろうか。
「よろしい。僕は視察する。万事《ばんじ》は視察した上でのことだ」
「来たまえ。そして見たまえ」
 魚人は僕の手をとると、どんどん足許《あしもと》を掘り始めた。彼の足はプロペラのように動いて、みるみる穴が大きくなっていった。僕のからだはその穴へ引きずりこまれた。穴のふちは、僕の目の高さよりはるかに上にあった。
「来たまえ。こっちだ」
 魚人が手をはげしく引っぱった。僕は魚人に引きずられるようにして歩いた、始めはたいへん歩きにくかったが、そのうちに楽になった。しかしかなり抵抗がからだの正面に感じられた。それはまだいいとして、憂鬱《ゆううつ》なことには、あたりがまっくらで、墨《すみ》つぼの中を歩いているような感じのすることであった。


   地底《ちてい》居住者《きょじゅうしゃ》


 僕は途中のことをよくおぼえていない。あの気持のわるい海底の、そのまた下の泥の中へひきずりこまれていったとき、途中で気を失ってしまったらしかった。
「あ、痛ッ!」
 高圧電気にふれたときのようなはげしい衝動《しょうどう》を感じると共に、全身にするどい痛みをおぼえた。それで僕は気がついた。
 すると、奇妙なたくさんの声が笑うのが聞こえた。僕をあざ笑ったのにちがいない。
 僕は空気兜《くうきかぶと》の中から目をみはった。意外な光景が、前にあった。そこにはあの黒ずんだ海水がなかった。水のない空間が、あかるく光っていた。うす桃色の大きな波が、その空間をうずめて、左右上下にさかんに動いていた。
 僕の目がだんだん落ちついてくるにつれ、空間のうす桃色の大きな波と見えたのは例の魚人《ぎょじん》トロ族がおびただしくこの洞窟《どうくつ》みたいな中に充満《じゅうまん》し、そして彼らは僕をもっとよく見たがって、たがいにひしめきあっているのだと分った。
 その醜怪なる魚人のかたち! 僕は嘔吐《おうと》しそうになって、やっとそれをこらえた。
 ひしめきあう魚人たちは、急にしずかになった。誰かが号令《ごうれい》をかけたようでもある。
 そのとき僕の耳もとで、僕に分かる言葉がささやかれた。
「君の兜をぬぎたまえ。君の服もぬぎたまえ。そうしても君は、楽に呼吸ができるよ。ここには十分の空気があるからね」
 僕は横をふりむいた。するとそこには見おぼえのある魚人がいた。はじめ海底で会見したときに、僕にものをいいかけた彼だった。彼は乳の上に、黒いあざをこしらえていた。そのあざは、彼のからだが或る方向になったときにかぎり、雄鶏《おんどり》[#「雄鶏」は底本では「鶏鶏」]のシルエットに見えた。僕は彼のことを、これからオンドリと呼ぼう。
「いや、僕はぬぐつもりはない。このままがいいのだ」
 僕は断固《だんこ》として、ことわった。うっかりぬいでしまった後で、どこからか海水がどっと侵入して来たときには、僕はたちまち土左衛門《どざえもん》にならなくてはならない。
「じゃあ、勝手にしたまえ」とオンドリは、いった。
「とにかくこんなにたくさんのわれわれの同胞《どうほう》が、海底の下わずか百メートルのところに住居をもっているんだ。分ってくれたろうね」
「これが住居か。ほら穴みたいだが……」
「第一|哨戒線《しょうかいせん》についている同胞なのだ」
「ははあ、ここが第一哨戒線か」
「こんな余計なところへ住居をあけなければならなくなったのも、元はといえば、君たちヤマ族のあくなき侵略に対抗するためだ。……こんどは別のところを見せる。こっちへ来たまえ」
 オンドリが僕の腕をかかえて立上った。すると魚人たちは奇声《きせい》を発して左右にとびのいた。そのまん中の道を、オンドリと僕とが歩いていった。
 正面の壁に、とつぜん明るい光がさした。と思ったらそこは狭いトンネルの入口であることが分った。
 僕たちはその中へはいっていった。
 僕はふしぎなものを見た。いやふしぎな出来ごとにあった。というのは、そのトンネルの穴が、すぐ向こうで行《ゆ》き停《どま》りになっているように見えるのに、僕たちがそっちへ歩みよるに従って、その穴がしずかに後退していくことだった。つまり、前方において行き停りになっている浅い穴が、僕らがそっちへ一歩進めば、穴の底は一歩奥深くなり、三歩進めば三歩奥深くなり、どこまで行っても穴の奥に突き当たらないのであった。
「へんだなあ。自然に穴があいて、通り穴が出来るなんて……」
 僕は思わず感嘆《かんたん》の声をもらした。
 すると僕の前にいたオンドリが僕の方へふりかえった。
「はははは。自然に穴があくわけではない。この器械で穴をあけていくんだよ。君たち人類は、こんな道具を持っていないと見えるね」
 オンドリはそういって、手に持っていた大きな探検電灯のようなものを見せた。それはもちろん電灯ではなかった。彼がそれをすぐ横の壁にさしつけると、壁はとろとろととろけるようになくなって、奥行十メートルばかりの、われわれが立って歩けるぐらいのトンネルがあいたではないか。僕は、トロ族のおそるべき技術力について知り、背中がぞっとした。
 僕たちは前進した。
 約二十分ばかり歩いたとき、オンドリは僕の方をふりかえった。
「いよいよ君に見せたい場所へ来た。われわれの善良なる同胞の住居が、君たちの海底都市工場のために、いかにひどく破壊せられているか、さあ、こっちを見たまえ」
 オンドリは、僕をひっぱって、急ぎ足になった。――僕はいかなる光景を見たろうか。


   険悪化《けんあくか》


 魚人オンドリの声に、僕は彼の指す方を眺《なが》めた。
 ああ、僕はその光景を一目見たとき、そっちへ目を向けたことを後悔《こうかい》した。それは悲惨《ひさん》きわまる光景だった。洞窟の中に、大きな崖《がけ》くずれが起こり、その土砂の下から数百数千の魚人が血だらけになって救《たす》けをもとめているのであった。そして天井から、にゅうと顔を出しているのは、まぎれもなく海底都市のボーリングの末端《まったん》をなす鋼鉄棒《こうてつぼう》だった。
「とつぜんあのとおり、大震動と共に、あのような金属棒がわれらの居住区を突きさしたのだ」
 オンドリは叩きつけるような口調でいった。
「そこで天井はくずれる。たちまちわれらの同胞はあのとおり生き埋めになる。皮膚は破れ、肉はさけ、死する者数知れず、その救出《すくいだ》しにわれらは総力をあげているが、このとおりまだ救い出しきらないのだ。どうです、君たちヤマ族が見ても気持ちのいい光景じゃないでしょう」
「ごもっともである。海底都市の拡張《かくちょう》工事がこんな惨禍《さんか》を君たちに与えようとは全然知らなかった。早速《さっそく》僕は、このことを報告して、直ちに善後策を講ずるであろう」
「とにかく無法にも程がある。何等の案内も警告もなしに、上からどかどかと鉄の棒をさしこんで、こんな目にあわすんだからね。かりに君たちの居住区が、こんな風に荒されたと考えてみたまえ。君たちはそのときどんなに怒りだすことか」
「ごもっとも。げにごもっともである。早速警告をわれらの仲間へ発信しよう」
 僕はそういって、カビ博士への通信器を取上げた。しかしそれは機能を発揮しなかった。
 と、そのとき大雷《おおかみなり》の落ちたような音響がした。それと共に、僕が踏まえている大地が地震のように揺れた。
「おッ、又来たぞ。憎むべきヤマ族!」
 オンドリの呪《のろ》いにみちた声と共に、右手の正面の壁がどっと下へ動きだして、滝のように落下していった。するとそのあとに、直径二百メートルほどの大穴があいた。その底はどのへんになっているのか、土煙のために見えなかった。
 トロ族の叫び。僕のまわりから、また土煙のたちのぼる地底からも、あわれな叫喚《きょうかん》があがって来た。
「また陥没《かんぼつ》だ。ひどいことをしやがる」
 オンドリの声は、前よりもずっと興奮《こうふん》している。
 僕は目を蔽《おお》いたかった。僕は出来るならすぐさまその場を逃げ出したかった。だが、そうすることは不可能だった。僕はどの道を行けば、カビ博士の待っているところへ行けるのかを知らない。――オンドリが、僕の手をつかんだ。
「あの声を聞け。トロ族の呪《のろ》いの声を聞け」
 そういって彼は、僕の耳にゴムまりを半分に切ったようなものを、ぺたんとはりつけた。するとそれまでは、ただわあわあ、ぎゃアぎゃアとばかり聞こえていたトロ族たちの叫喚が、とたんに言葉になって僕に聞こえた。
「ヤマ族の悪魔め! また、やりやがった」
「もうかんべんならん。海底都市へ進撃して、ヤマ族をみな殺しだ」
「そこに立っているヤマ族の一人を、まず血祭《ちまつ》りにぶち殺せ」
「そうだ、そうだ。やっつけろ」
 僕は背中が寒くなった。
 暴民《ぼうみん》どもだ。彼らのいっていること
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