聞いているうちに、僕は彼のいっていることが大体理解できるようになった。本体は、僕は青少年なんだ。こんな大人ではないんだ。だからこの恰好の僕が死んでも、それは幻が死ぬだけで本体の僕の生命には異常がない――という理屈は、筋が立つ。
 が、疑問が起こった。
「おい君。幻の僕が死んだら、僕はどういうことになるんだ。感覚のある僕は、どこに現れるのかい」
「それはもちろん、時間器械の部屋の中さ」
 博士は、はっきり答えた。
「時間器械の部屋の中というと、あの焼跡の地下室に据《すえ》付《つ》けてある、あれのことだね。君が僕に入《はい》れといったあの器械の中のことだね」
「そうさ。あの中だ。そこで僕は君をまた未来の世界へ送りつけることが出来る。あの同じ器械を使えば、それはわけのないことだ」
 なるほど、そうかと、僕は始めて納得《なっとく》がいった。
「じゃ、この海底都市へ帰って来ようと思えば、すぐ帰って来られるんだね」
「もちろん、そうだよ。時間器械のところには辻ヶ谷と名乗る僕がいつもついているんだから、君の希望どおりにしてあげられる。――どうやら分ってくれたようだから、早速《さっそく》、例の謎の陰謀者たちのまん中へ入りこんでもらいたいね。通信機もここに用意してある。彼らの正体をつきとめてくれたまえ、そしてわれら海底都市に対して何を行うつもりか。われらと平和的に妥協《だきょう》するつもりはないか。それから、出来るなら、彼奴らの生活の弱点などというものを見て来てもらいたい。さあ、そうときまったら、この潜航服《せんこうふく》を着せてあげよう」
 博士はいつの間にかメバル号を海底に停止させていた。そして座席から立上って、僕の衣《ころも》がえをうながした。


   海底を行く


 へんなことになった。
 カビ博士と名のる辻ヶ谷君の切《せつ》なる頼《たの》みにより、僕は海底ふかく分け入って、凶暴《きょうぼう》なる未知の怪生物族を探し、それと重大なる談判《だんぱん》をしなくてはならない行きがかりとはなった。
 カビ博士は、僕にきせた潜航服をもう一度めんみつに点検して、異常のないのをたしかめた後、僕に門出《かどで》の祝福《しゅくふく》をのべてくれた。
「じゃあ、行ってくるよ」
「しっかり頼んだよ」
「なんか異変があったら、すぐ救い出してくれるんだよ。いくら僕がこの海底都市では幻の人間だといっても、やっぱり自分が殺されるなんて、気持がよくないからねえ」
「それはよく分っている。こっちも十分に君を監視しているんだから、もしまちがいが起こったと分れば、全力をあげて救出するから、安心して行きたまえ」
 カビ博士は、そういってうけあってくれた。
 僕はついに海底に下りた。軟泥《なんでい》の中に、鉛《なまり》の靴がずぶずぶとめりこんで、あたりは煙がたちこめたように濁《にご》ってしまった。
「かぶとにつけてある電灯のスイッチを入れるんだ」
 博士の声が、超音波を使った水中電話器にのって、聞こえてくる。
 僕はいわれたとおりにした。ぱっと前方が明るくなった。僕がかぶっている潜水兜《せんすいかぶと》のひたいのところについている強力なヘッド・ライトが点《つ》いたのである。なかなか明るくて、前方百メートルぐらいまでのものは、昼間と同じようにはっきり見えた。
「百十五度の方向だよ。まちがえないようにね。……そのうちに、くりッくりッという怪音《かいおん》が聞こえだすだろう。その音の方向へ進んでいくんだ。多分七八百メートル先に、例のトロ族の哨戒員《しょうかいいん》か何かがいると思うよ」
 カビ博士はよほど心配になると見えて、またぎゃあぎゃあと、水中電話器を通じて僕に話しかける。
 僕は羅針盤をにらみながら、百十五度の方向へ、よたよたと歩いていった。
 あたりは軟泥ばかりで、外《ほか》に海草も何にもない。魚群さえみえない。――いや、魚はいないわけではない。ぐっと踏んだ鉛の靴の下がぐらぐらと崩壊《ほうかい》するように感じたときは、かならず足もとから、まっくろなものがとび出す。それは深海魚《しんかいぎょ》であった。僕はそのいくつかの姿を、ヘッド・ライトの中にみとめたが、どれもこれもどす黒く、そして醜怪《しゅうかい》な形をしていて魚らしくなかった。魚と両棲類《りょうせいるい》の合の子としか見えなかった。
 ふだんは何一つ光の見えないこの深海にも、ちゃんと楽しく棲《す》み暮《くら》している動物の世界があるのだ。いや、動物だけではなかろう。僕には見えないが、おそらく原始的な微生植物《びせいしょくぶつ》も、ここをわが世とばかりに活動して繁茂《はんも》しているのであろう。
 行けども行けども、どこまで行っても単調な同じ地形ばかりであった。僕は少々ばかばかしくなった。ひょっとしたら、カビ博士にうまく一ぱいはめられたのかもしれない、などと考え出した。
 その博士は、さっきからもう黙りつづけているのだ。ただ水中電話器から発する連続性の搬送音《はんそうおん》だけが、かすかに受話器に入って来ている。
 そのときだった。全く不意打《ふいうち》だった。
 僕が歩いている前方五メートルばかりの海底が、急にむくむくともちあがった。それは恰《あたか》も大きなもぐらがいて、大地の下から土をもちあげたらこうもなるだろう、と思われるような光景だった。とにかく僕の目の前に、とつぜん高さ二メートルあまりの小山みたいなものが出現したのである。そしてよく見ると、それは生き物のようにしきりに動いていた。
「な、なんだ。おどかすなよ、海もぐらの親方さん」
 僕は水中電話器を通して、何者とも正体《しょうたい》の知れない土塊《どかい》に声をかけた。
 僕が声をかけたとき、例の土塊ははげしく上下左右へ震動《しんどう》したようであった。しかし相手は返事一つしなかった。
「おい、おい、通り路をじゃましないでもらいたいもんだね」
 僕はふてぶてしくいいはなった。そしてたちまち土塊に近づいて、その横を通りすぎようとした。
 と、僕の行手《ゆくて》にあたって、また別の土塊がむくむくと頭をもちあげた。一つではなかった。五つ六つ――いや、その数はぐんぐんふえて、十四五にもなったであろうその土塊は、まるでダンスでもしているように上下左右にゆれながら、僕の行手を完全にふさいでしまったのである。
 このとき僕は、それまでに聞いたことのないあやしい音響を耳にした。


   トロ族


 僕は当惑《とうわく》の絶頂《ぜっちょう》にあった。
 むくむくと、土饅頭《どまんじゅう》のような怪物が、僕のまわりを這《は》いまわる。
 へんに耳の底をつきさすような怪音が、だんだんはげしくなる。始めはそれが何の音だか見当もつかなかったが、そのうちにあれは怪物どもがさかんに喋《しゃべ》り合《あ》っている声ではないかと思った。どうせ僕のことをやかましく喋り合っているのだろう。
 僕は立往生《たちおうじょう》をしていた。そして怪物どものさわぎを、見まもっているしかなかった。
 が、そのうちに気持ちが少し落着いて来た。あとはどうにでもなれと、はらを決めたせいであろう。
「もしもし、トロ族君たち。いつまでも僕のまわりを走りまわらないで、話があるのならさっさと話しかけてくれたらどうだね」
 相手に通ずるという自信はなかったが、かねてカビ博士から教わっていたところもあるので、思いきって普通のことばで話しかけてみた。
 或る程度のききめはあったようだ。僕が話しかけると同時に、怪物群は一せいに動きまわるのを中止して、僕の方へ頭部をつきだすようにしたからだ。
「もしもし、トロ族君たち。話は早いところきまりをつけようじゃないか」
「それはこっちも望《のぞ》むところだ」
 奇妙な声が、僕に答えた。それはすりきれた音盤《おんばん》にするどい金属針をつっこんで無理にまわしたときに出るゆがんだきいきい声だった。
「よろしい。君たちはいったい何を希望するのかね、われわれ人類に対して……」
「へんなことをいっては困る。われわれも人類だよ。君たちだけが人類じゃない」
 返事とともに怪物群は、一せいに頭部《とうぶ》をゆすぶって奇声《きせい》を放った。それはあざけりの笑い声のようにひびいた。
「僕には信じられない。ほんとうに君たちも人類であるなら、ちゃんと姿をあらわしたがいいではないか。そんな揚げない前の天ぷらみたいな恰好で僕の前に立っていて、おかしいではないか」
 鋸《のこぎり》の目たて大会のように、きいきい声がはげしくおこった。が、そのうち別の声がすると、きいきい声はぴたりとしずまった。
「ではヤマ族君」と相手の声がいった。
「われわれは姿を見せるであろう。今まで姿を見せなかったのは、一つには防衛のためであり、また一つには君たち劣等《れっとう》な人類がわれわれを見て、気が変になるような事があっては困ると思ったからだ」
 劣等な人類――とは、何事であるかと、僕は少々むかむかしたが、それはおさえた。誰が気が変になんかなるものか。
「御念《ごねん》の入ったごあいさつです。気が変になんかなりませんから、早く素顔《すがお》と素顔とをつきあわせましょう」
 そういってしまってから、僕はしまったと思った。なぜなれば、こっちは潜水兜《せんすいかぶと》なんかをからだにつけているのだ。これをとって素顔を見せたりすると、たちまちあっぷあっぷで土左衛門《どざえもん》と変名しなくてはならない。
 そのときであった。僕はおどろきのあまり息がとまった。
 見よ、一せいにトロ族が姿をあらわした。例の背の高い土饅頭《どまんじゅう》みたいなものが、とろとろと下にとけおちると、そのあとに残ったのは僕の二倍ほどの背丈の、ふしぎな顔をした人間に似た動物であった。
 彼等の全身はまっ白で、肉付のわるい方ではなかった。
 その顔は、頸のところがなくて肩の上にすぐついていた。いや頸がなくなって、肩とあまりちがわない幅《はば》をもっていたという方がいいかもしれない。頭部に全然毛はなく、丸い兜《かぶと》のような形をしていた。額はせまく、目はすこぶる大きくて、顔からとび出していた。そして両眼の間はかなりはなれ、別なことばでいうと、目は顔の側面の方へ大分移動していた。
 鼻はあるかなしかで低かった。そのかわり口吻《こうふん》はふくらんで大きく前に伸び、唇はとがっていた。あごは逞《たくま》しくふくれていた。
 腕は短く、手はひろがって鰭《ひれ》のようであった。脚は太くて長かったが、足首のあたりから先は、やはり尾鰭《おひれ》のような形をしていた。鰭らしいものが、背中と、胸と腹の境目とにもつづいていた。乳房のある者と、それのない者と両方がいた。
 大ざっぱに彼等の身体つきについて感じを述べると、たしかに人間らしくはあるが、多分に魚の特徴を備《そな》えていた。しかし人魚というほどではなく、それよりもずっと人間に近い。とにかく、こんな奇妙な相手の身体と知っていたら、もうすこし正体をあらわすのを待ってもらった方がよかったとも思う。
「どうだね、君、気はたしかかね」
 僕の前にいた一きわ大きい魚人《ぎょじん》が、そういって、口からあぶくをふいた。


   海底の下


「大丈夫ですよ。君たちの姿を見て気が変になるなんて、そんな気の弱い者じゃない」
 僕はトロ族たちに、そういった。
「ふうん、どうかなあ。君たちヤマ族は、よく嘘《うそ》をつくからね」
 魚人《ぎょじん》がいった。
「さあ、そんなことより、話をつけよう。一体君たちトロ族は、われわれに対して何を希望するのかね。僕は出来るだけ、君たちの希望がとげられるように努力するつもりだ」
 僕は早く交渉を切上げてしまいたいと思ったので、その話を始めた。
「よろしい。われわれの不満を君に聞いてもらう――近来、君たちヤマ族の海中侵入《かいちゅうしんにゅう》はひどいではないか。われわれトロ族としては甚《はなは》だ不安である。前以《まえも》ってあいさつもなしに、どんどん海底まで侵入してくるとは、よろしくないではないか」

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