のは」
「知らないのか、それを。君の頭はまだまだ十分に恢復《かいふく》していないらしいな。ミドリモというのは君の名前なんだ」
「じょうだんじゃないよ。僕にはちゃんと、本間良太《ほんまりょうた》という名がある」
「ふふん。それがミドリモと改名されたんだよ。ちょうどわしが、辻ヶ谷からカビに改名したようにね」
博士はふしぎなことをいった。
「本当かい。なぜそんな改名をしたのか」
「名前というものは昔から親がつけたもんだ。しかしそれはやめて名前は自分でつけることに、法令が改められた。それと同時に姓もやめることになり、今は誰でも名前だけになったんだ」
「なぜそんなことをしたんだろう」
「わしは知らない。法令だ」
法令で、そんなことをきめなければならないわけは、どこにあったのであろうか。僕はそんな問題についてカビ博士と永く問答する興味はなかった。しかしそのとき得た印象として、この理想的自由都市らしいこの町にも、なにかもうカビのようなものが生えかかっているらしく直感した。果してこの直感は当っていたかどうか。
それはさておき、カビ博士が学友辻ヶ谷と同一人だと分った今、僕はこれまでに感じていた窮屈《きゅうくつ》さを一ぺんに肩からおろすことができた。それと共に、彼にいろいろと問いただしたいことが山のようにあるのを感じ、それをどこから彼に問いただすべきかに迷ったほどである。
「とにかくミドリモ君。君は興奮しないように極力《きょくりょく》気をつけたまえ。君がこの際、興奮して、頭がカーッとしてしまうと、えらいことになってしまうからね。昔の言葉でいうなら、それは君が自爆《じばく》するようなものだ。だから気をつけてそれを避《さ》けたまえ。極力、興奮しないようにしたまえ。聞きたいこともあろうが、それは後日ゆっくりしたときに聞き出すことにすればいい」
と、カビ博士は一生けんめいに僕をなだめるのであった。
「それよりも目下の大問題は、さっきちょっと話したが、われわれの海底都市が外部から何者かによって狙《ねら》われているらしいことだ。彼奴《あいつ》は、われわれの海底都市を破壊し、この平和人《へいわじん》をみな殺しにしようと思っているのではないか。果《はた》してしからば、彼奴とは一たい何者だ。――それを早いところ突きとめてしまわねばならぬ。そこで君の力を借りたいのだ」
「それは容易《ようい》ならぬ事件だ。しかし僕にどんな仕事がつとまるというのかね。僕は、君のいうところでは、すこし頭がつかれて、南瓜頭《かぼちゃあたま》らしいんだが、それでも役に立つのだろうか」
僕は、いささか皮肉《ひにく》なもののいい方をした。
「いや。それがね、君でなくちゃならないことがあるんだ。とにかく、あそこに見える海底の丘かげへ、このメバル号をつけて、ゆっくり話をするとしよう」
カビ博士は、下方《かほう》に見える乳房《ちぶさ》の形にこんもりもりあがった白い丘陵《きゅうりょう》へ向け、下《さ》げ舵《かじ》をとった。艇はゆるやかに曲線の道をとって、水中を降下していった。
「わざわざこんなところまで出かけないと、話が出来ないのかね。そんなわけがあるのかい」
僕は、きいた。
「そうなんだ。町では、こんなことはうっかり喋《しゃべ》れないんだ。おそろしい相手が、到《いた》るところに秘密のマイクをしかけてあるし、そのうえに、あやしい人物がうろうろしているんだからね。この間も、博物標本室の、象《ぞう》の剥製《はくせい》標本の中から、のこのこと出て来た諜者《ちょうじゃ》がいたからね、わしの教室だって、決して安全な場所ではないんだ」
そういうカビ博士の顔には、いつにない不安の色が漂《ただよ》っていた。
「深海底なら大丈夫というわけかね」
「うん、多分大丈夫だろう。しかしここも絶対に安全とはいえないんだ――ありゃりゃ、これはたいへんだ、逃げよう、力いっぱい!」
なにおどろいたか、カビ博士は急にアクセルを入れて、艇に最大速力をあたえた。飛ぶ、飛ぶ。海底の丘をとびこして艇は必死に飛んで逃げる。
恐怖《きょうふ》の陰謀者《いんぼうしゃ》
カビ博士が、あんな真剣な顔付になったことを、今までに見たことがない。博士は、操縦席に、長髪をさか立て、目を皿のように見開いて全速力のメバル号の速度をもっともっとあげようと努力したのだ。
メバル号は流星の如く深海の中をかけぬけた。もはや海底のはてまでも来たのではないかと思われる頃、それまで石像《せきぞう》のようだった博士は、やっとからだを動かしはじめた。
「あああ、おどろいた。さっきはもういけないかと思った」
博士は、そういって、ハンカチーフで額の汗をぬぐった。
「どうしたんだね、君をそんなにびっくりさせたのは……」
と、僕はたずねた。何者か強敵《きょうてき》においかけられたらしいことは察せられたが……。
「姿を見せたことのない陰謀者《いんぼうしゃ》だ。さっき君に話をしたばかりの例の陰謀者だ。ぐずぐずしていれば、殺されるところだった。逃げることが出来たのは、非常な幸運だ」
博士は、まだ興奮している。
僕は博士のことばの中に、辻つまの合わないものを見つけた。
「君、姿を見せたことのない陰謀者といったが、姿を見せたことのないものなら、君にも見えるはずがないじゃないか」
「そのとおり……」
「そんなら、君がそれを見つけたようなことをいって、逃げだしたのがおかしいね」
「ちがうよ。かの陰謀者どもは今までに一度も姿を見せていない。だが、彼奴らがわれわれに対して仕事をはじめると、すぐ分るんだ。さっきも僕は、とつぜん海底の丘のかげから急に砂煙《すなけむり》がむくむくとまるで噴火《ふんか》のようにたちのぼり始めたのを見つけたのだ。彼奴らの仕業《しわざ》なんだ。彼奴らが仕事を始めたしるしなんだ。おそらくその砂煙の下に大ぜいの彼奴らがひそんでいるにちがいない。だからそれを見ると、僕は全速をかけて、現場からずらかったんだ」
博士はそういって説明した。
「このあたりもまだ危険らしい。もっと遠くへ行こう」
博士はメバル号をさらに沖合へはしらせた。
「その陰謀者は、なぜ姿を見せないのかね」
僕はたずねた。
「なぜだか、われわれには、まだ分っていない。自分たちの姿をわれわれに見せることを極端《きょくたん》にきらっているのだろうが、なぜそうなんだか見当《けんとう》がつかない」
「で、その陰謀者たちは、君たちに対して何を計画しているの」
「その方はうすうす分るんだ。ちょっと耳を貸したまえ」
と、博士はふかい用心ぶりを見せて僕の耳に口を近づけた。
「つまりね、彼奴はわれわれの海底都市を覆滅《ふくめつ》しようとしているのにちがいない。覆滅だ。分るかね、この海底都市を大破壊し、われわれを死滅させようと考えているんだと思う」
「ふうん、それがほんとうなら、けしからん話だ」
「そうだ。けしからん話だ。せっかく平和|裡《り》に、高度の文化のめぐみをうけてくらしている、われら海底都市住民の生存をおびやかすなどとは、許しておけないことだ」
「それなら、早速《さっそく》彼等に対抗したらいいではないか。彼等を追払ったがいいじゃないか」
「それが考えものなんだ。第一、そんなことは、わが住民たちが同意しないにきまっている」
と、博士は首を左右に振った。
「でも、そうしなければ陰謀者はいよいよのさばって、君たちへ暴力をほしいままにふりかけるじゃないか」
「わが海底都市住民は、武力抗争《ぶりょくこうそう》ということを非常に嫌っているんだ。だから武力をもって彼奴を追払うという手段は、すくなくとも表面からいったのでは、住民たちの同意を得ることはむずかしい」
「だがおとなしくしていれば、君たちは彼等にくわれてしまうばかりだ。だから防衛のために武力を用いることは――」
「君はいけないよ、そういうことを、この国へ来ていうから。そういうことは、この国では全く通用しないんだから」
「そんなに武力行使ということを嫌っているのかい。それならそれでいいとして、では平和的に外交手段でいってはどうだ」
「それでもだめ。相手は全面的に暴力をもってわれわれに迫っている。外交手段を用いる余地はないのだ。しかも困ったことに、いかなる点から考えても、彼奴らはわれわれよりもずっと知能のすぐれた生物らしい。だから正面からぶつかれば、こちらが負けることはほとんど間違いないと思うんだ。それに、彼奴らは姿さえ見せない……」
博士はため息をついた。が、そのとき彼は僕の腕をぐっと握ると、あえぐようにいった。
「実は、君に頼みたいというのは君が単身《たんしん》で、彼奴《あいつ》に面会をしてくれることだ」
「それは危険だ」
「そうだ。君は多分彼らの手にかかって殺されるだろう」
「ええッ!」
不死《ふし》の真理《しんり》
僕は、このときほど腹の立ったことはなかった。
(このカビ博士――いやこの辻ヶ谷の野郎め!)
と、思わず拳《こぶし》が彼の方へうなりを生じて動きだした。――僕を危険きわまりない謎の陰謀者のところへ使者にやり、そしてそこで僕が殺されるであろうことを知っていながら、僕を行かせようというカビ博士の薄情《はくじょう》さ。
「あ、ちょっと待て。怒るのはもっとものようだが、ちょっと話をきいてくれ」
博士は両手をあげて僕を制した。
メバル号は、とたんにぐっと傾《かたむ》いた。博士はまたあわててハンドルをとりながら、
「君、おちつかにゃいかんよ。君は今、僕のことばにびっくりしたようだが、おどろくことは何もないんだ。君は殺されても一向《いっこう》さしつかえないんだ。いや、待った。怒ってはいかんよ、終りまで聞いてくれなくては――」
「だまれ。僕なんか殺されて一向さしつかえないとは、何という言《い》い草《ぐさ》だ。おせっかいにも程《ほど》がある、何というあきれた――」
「いやそこをよく考えてもらいたいんだ。これはなかなか重大なことなんだが、冷静を失うと、もう分らなくなるのだ。いいかね、ミドリモ君。いや、本間君。君がこれから出かけて殺されたとしてもだ――怒ってはいかん、よく考えてくれ――君が殺されたとしても、本当の君は殺されないのだ。分るかね――」
僕には何のことだが分らない。また、腹が立ってたまらないので、分らせるつもりもなかった。
「よく考えてみたまえ。これから君が出かけていって、恐るべき陰謀者と対談中、不幸にも君が相手の手にかかって殺されてしまってもだ、本当の君は死なないのだ、なぜならば、僕とこうして並んでいる君は『二十年後の世界』へ見物に来ている君にすぎないからだ。本当の君はこの世界よりも二十年過去にさかのぼった世界に住んでいるんだ。そうだろう。これは分るか」
そういわれてみると、なるほどそれにちがいない、僕は博士の説に興味をおぼえた。
博士は、僕の顔色が直ったのを早くも見てとったか、その機を外《はず》さず、喋《しゃべ》りたてた。
「つまりだ。今僕と並んでいる君は、本体《ほんたい》のない幻《まぼろし》にすぎないのだ。本体の君は、連続的成長を続けて、やっと青年になりかけのところにいるんだ。だからね、幻の君が……で殺されようとも、君の本体は死なない。ただ君の幻が、殺されたように見えるだけだ。君の生命は絶対に安全である。分ったかね」
分ったようでもあり、なんだかごま化《か》されているようでもあった。僕はそのとおり素直に博士にいってやった。
「ごま化したりしていやしないよ、子供でもこれは分る理屈《りくつ》なんだがなあ。――とにかく君の本当の生命があやうくなるようなことを、君の親友の僕たるものがすすめるはずがないじゃないか。そしてね、なにもかもさらけだしてしまうと、君なる者はいくらこの世界で殺されたって、君の本当の生命には異常がないという真理を、僕は大いに重宝《ちょうほう》に思って、それを出来るだけ利用しようとしているのだ。もちろん他日《たじつ》、君にはうんと報酬《ほうしゅう》を払うことを約束する」
だんだん
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