実験動物と呼び、そしてその僕をもっと金魚《きんぎょ》や鮭《さけ》のまねをさせようといっているのである。溺死はもうたくさんだ。この上第二回、第三回の溺死をくりかえされていると、そのうちに僕は弱ってしまって、いくら注射をうっても生きかえらなくなることだろう。僕は大いに抗議をしたいと思ったが、残念なことに口も身体もきかない。
「あたし、考えたんですけれどね」
 とダリア嬢が元気一ぱいの声でいう。
「この次の実験には、この実験動物が水槽で楽に呼吸が出来るように呼吸兜《こきゅうかぶと》を頭にかぶせようと思うんですの。つまり、適当に酸素を補給させ、過剰の炭酸|瓦斯《ガス》が排出《はいしゅつ》されるようになっていればいいんですから、そのような呼吸兜を作るのはわけありませんわ」
「それはいいでしょう。しかし身体の釣合いを破らないように考えないといけませんね」
「そうですね。身体の他の部分にも別の錘《おもり》をつけましょう。あたしはもっといろいろと考えていますのよ、発展的な実験をね」
「発展的な実験というと、どんなことをしますか」
「すこし大胆《だいたん》かもしれませんけれど、この実験動物をやがて深海へ放ってみようと思うんです。そして深海の重圧力《じゅうあつりょく》がこの実験動物の平衡器官にどんな影響を及ぼすかを調べてみたいと思います」
「それは面白いですね。しかしその実験を最後として、この実験動物は役に立たなくなりますよ。おそらくひどい内出血《ないしゅっけつ》をして死《し》んじまうでしょうからね」
「それはもう死んでもようござんす」
 僕は聞いていて気が遠くなりそうだった。死んでもようござんすとは御挨拶《ごあいさつ》だ。おお、僕は一体《いったい》これからどうなるか。


   絶望《ぜつぼう》の底《そこ》


 女学生ダリア嬢と男学生トビ君のために、水槽の中で実験の道具にさんざん使われて、へとへとになっている僕の耳に、この次は呼吸兜《こきゅうかぶと》を僕にかぶせて深海へ放りこむつもりよとのダリア嬢の放言が響いた。
 僕はおどろいたが、すっかり精力《せいりょく》をなくしているので、立上って逃げ出す元気はないばかりか、それに抗議する声さえ出なかった。
(もう駄目だ。僕はやがてこの両人に殺される。――殺された結果、僕は一体どういうことになるのか、元の世界へ舞い戻ることになるのか、それともあたり前の死のように、たちまち意識は消えて、それなりけりとなるのか、どうなんだろう?)
 殺されることだけでさえいやな上に、死後のことまでを心配しなければならないとは、なんたる不幸な僕であろうか。禁断《きんだん》の園《その》に忍び入ったる罪は、今、裁《さば》かれようとしているのだ。僕はもう観念した。たとえ針の山であろうと無間地獄《むげんじごく》であろうと、追いやられるところへ素直《すなお》に行くしかないのだ。
 僕は、ひそかに仏《ほとけ》さまの慈悲《じひ》に輝いたお顔を胸に思いうかべた。そして南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》を唱《とな》え始めた。もちろん声は出ない、心の中でどなりたてたに過ぎないけれど……。
 そのときであった。大きながらがら声で突然|怒鳴《どな》り散らし始めた者があった。その声はトビ男学生の声でもなく、また[#「また」は底本では「まだ」]もちろんダリア嬢のそれでもなかった。その叱咤する声は、だんだん大きくなっていって、雷鳴《らいめい》かと疑うばかりだった。
「……ばかだねえ、君たちは。二度と手に入らない貴重な人間をそんな無茶な目にあわすとは困るじゃないか。死んじまったら、わしは免職だよ。それに第一、これは君たち両人の所有物じゃないだろう、両人だけに勝手に処分されちゃ困るよ」
 その声に聞き覚えがあった。それこそ正《まさ》にカビ博士だった。
 カビ博士が救援に駆けつけてくれなかったら、僕は遂《つい》にダリア嬢たちの手であえない最後《さいご》を遂げてしまったことであろう。後でタクマ少年から聞いたところによると、博士は僕の盗難を大学の人からの急報によって知り、ベッドを滑《すべ》り下《お》りると寝巻《ねまき》のまま大学へ駆けつけ、それから捜査に移ったそうである。
「もう大丈夫だ。明日になれば元気を恢復するだろう。そしてもう、学生たちには襲撃されないように万全《ばんぜん》の手配をしてあるから、安心したまえ」
 と、博士は僕を見舞って、こういった。
「先生。もう深海《しんかい》になげこまれるようなことはないでしょうね」
「そんな危険は今後絶対に起こらない。あの凶悪《きょうあく》なるダリア嬢と共犯者トビ学生は、共に本校から追放されたんだから、もう心配することはない」
 遂に放校処分にあったのか。そんならもう大丈夫だろう。しかし僕はどこかに不安の影が宿っているような気がしてならなかった。
 その翌日になると、カビ博士は又僕の病室を訪れて、枕頭《ちんとう》に立った。
「さあ、退院だ。わしと一緒に出よう」
「えっ、もう退院ですか。しかし僕は起上ろうとしても、ベッドから起上る腰の力さえないんですよ」
「ああ、そうか。それはまだ磁界《じかい》を外《はず》してないからだ。待ちたまえ今それを外すよ。……さあ、これでいい。起上りたまえ」
 博士がベッドの下へ手を入れて何かしたと思うと、僕の身体は俄《にわか》に楽になり、軽くなった。それは病人の安静器《あんせいき》がベッドの下に入っているんだと、博士の説明であった。
 その博士は、「今日はこれから君の慰安《いあん》かたがた、君を深海見物に連れて行こうと思う」といって、髭《ひげ》の中からにやりと笑った。
 深海見物と開いて、いつもの僕なら大喜びをするところだったが、ダリア嬢たちから深海へ放りこむと嚇《おど》されたことを思い合わして、僕はぞっと寒くなった。
「それは願い下げにしたいですね。僕は深海と聞くと、ぞっとしますんですね」
「心配はないよ。わしの愛艇《あいてい》メバル号に乗っていくんだから、どんなに海底深く下《くだ》ろうと絶対安全だ」
「でも当分僕は……」
「それにわしは、折入って君に相談したいことがあるんじゃ。それも早くそれを取決めたいんだ。だからぜひ行ってくれ」
 いつになくカビ博士が下手から出て、僕に懇願《こんがん》せんばかりであった。そういうとき、僕が博士のいうことをきいておかないと、僕が困ったときにどんな目にあうかもしれないと思ったので、僕は遂に同意した。すると博士は非常に喜んで、顔中の髭を動かし、満面に笑みを浮かべた。その笑顔を見ていた僕は、ふと別の顔を思い出した。
(ふしぎだなあ。カビ博士の顔と辻ヶ谷君の顔とは、非常によく似ているところがあるが……)


   水圧嵐《すいあつあらし》


 カビ博士は、僕を愛艇メバル号へ案内してくれた。
 メバル号は、メバルのような形をした潜水艇で、深海の水圧にもよく耐える構造をもっているのだと博士は説明し、艇の横腹《よこはら》についている扉をあけて、僕に先に艇内へ入れといった。
 扉は三重になっていた。つまり三つの区画を通らないと艇内に入れないのだ。おどろくべき用心である。しかしこのあたりの深海圧は、しばし潜水艇を、卵を外から叩いたように、くしゃりとおしつぶしそうである。
「でも、水圧というものは、深度によって一定なんだから、艇の構造をそれに対して十分に耐える設計にしておけば心配ないわけでしょう」
 と、僕はちょっと理科の知識をふりまわした。
 すると博士は首を左右にふった。
「いやそんなかんたんなことじゃない。ここらの海中では、水圧嵐《すいあつあらし》が起こるんだ。水圧嵐が起こると、水圧が急にふだんの三倍にも四倍にも、時には何十倍にもあがる。そういうときには、どんな堅固《けんご》な潜水扉も卵をおしつぶすようにやられてしまう」
「なんでしょうね、その水圧嵐の原因は……」
「そのことじゃ。わしが日頃からひそかに注意を払って調べているのは。そして君に相談したいことがあるといったが、そのことにも関係しているんだ。要《よう》するに、われわれの今すんでいる海底都市は何者かによって狙《ねら》われているような気がするんだ。われわれはゆだんがならない。詳《くわ》しいことは、中へ入ってから話そう。さあ、早く入りたまえ」
「大丈夫ですかね、このメバル号も水圧嵐にあって、ひとたまりもなく潰《つぶ》れてしまうのではないですか」
「いや、その心配はない。わしは特別に用心してこの艇を設計した。ふだんの水圧の百倍までかかっても大丈夫なんだ」
「百倍ぐらいじゃ、まだ心配だなあ」
「なあに、大丈夫だ、心配に及ばん」
 僕は博士がそういうので、まだ心配はすっかりなくなったわけではなかったが、艇内へ進んだ。最後の防水耐圧扉《ぼうすいたいあつとびら》がひらかれた。その戸口から中に、りっぱな部屋が見えた。僕はおどろきながら、足を中へふみいれたが、その室内の豪華さに魂をうばわれてしまった。
 それと分る二つの操縦席。その前に並んだ計器板。左右の壁には精密《せいみつ》器械るいが、黄びかりのするパネルを並べて整然としていた。その他の空間にも、各種の食料の缶詰や、飲料の出てくるフックや何から何までがまるで蜂《はち》の巣みたいに小区画《しょうくかく》に入って、ぎっしりつまっていた。
 扉がばたんと閉まって、博士が、やれやれといった顔で中へ入って来て、操縦席の右側へ腰をおろした。そして左側の席へ、僕に座るようにといった。
「すぐ出発する。これがテレビジョンの映画幕だから、これを見ていたまえ」
 博士は、そういって、僕の前方の壁に、計器板の下についている六つの窓のようなものを指した。それには、さっき僕たちが入っていった博士の艇庫の内部がうつっていた。
 が、間もなく映像は動きだした。それは艇が航行をはじめたからだ。いつの間にか、艇は水の中につかって進んでいた。運河の中をもぐって進んでいるようだ。数條《すうじょう》の、きちんとした間隔《かんかく》で直線的に並んでいる標識燈《ひょうしきとう》が、映画幕にうつくしく輝いている。
 やがてその標識燈の行列が消えた。
「海中へ出た」
 博士がいった。なるほど、そうらしい。海底都市の構築物をはなれて、深海へ。異様な形をした魚群が、こっちへどんどん近づいて来たと思ったら、ぱっと花を散らしたように上下左右へとんだ。
 海中には、うす青い光がみちていた。また海底の丘などは白っぽく輝いていた。緑や茶色の海藻はすきとおって見え、魚群が近づくと嵐にあったような恰好《かっこう》で、おどりまくった。
 僕は、ふと博士のことが気にかかって、幕面より目を放すと、横にむいて隣席《りんせき》の博士の様子をうかがった。
 カビ博士は、一心ふらんに、計器を見ながら操縦をしている。
 僕は髭もじゃの博士の横顔をしばらく見ていた。
 それは、かねて僕が抱《いだ》いている疑問に、十分にこたえてくれたようだ。
「ねえ、先生。いや、辻ヶ谷君」
 僕は遂にそれをいってしまった。
 そういったときの博士のおどろきはどんなであろうかと、僕はそれを喋《しゃべ》るよりも前から興奮の絶頂《ぜっちょう》にあったのだが、博士は僕の期待に反して冷然《れいぜん》としていた。そしていつもの調子の声でいった。
「君は、今頃になって、それに気がついたのかね」


   奇妙な再会


「ああ、ほんとうに君は辻ヶ谷君だったのか、あのウ、君が二十年後の辻ヶ谷君で、そしてカビ博士なのかい」
 そうとは思っていたにしろ、カビ博士がこうして素直《すなお》にそれを認めたとなると、僕はあらたな狼狽《ろうばい》におちいらないわけにいかなかった。辻ヶ谷君なる学友は、今もあの東京の焼け野原に、時間器械をまもって計器を読んでいることとばかり思っていたのに、こうして僕のそばに何日もいっしょにいたとは、全く思いがけないことだ。
「君のいうとおりじゃ。ミドリモ君」
 ミドリモ君? 僕は、そういわれて博士の顔を見直した。
「ミドリモて、なんだい。君が今いったミドリモ君てえ
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