ていたら、半年か一年の長期にわたる逗留《とうりゅう》を頼んでおいたものを。
「しかし、僕がこの海底都市へ来てから、もう一時間どころか、すくなくとも十時間ぐらい経《た》っている。辻ヶ谷君は、僕との約束を忘れているのかなあ。もう一年か二年、忘れていてくれるといいんだが、とにかく、いつ元の焼跡へ呼び戻されるかと思えば、全く気が気じゃないや」
 幸いにもカスミ女史が、その夫君《ふくん》である考古学者カビ博士を紹介してくれたので、なんとかうまくやってもらえるかもしれない。
 だが、聞くところによると、カビ博士はかなり変り者らしい。きげんをそこねないで、うまくやってくれるといいが、もしそうでないときは、たちまち僕を冷凍人間にしてしまうかもしれない。気がかりなことではある。
 タクマ少年に案内されて、例の動く道路に乗り、方々で乗換え、やがて大学へ着いた。すばらしい構内だった。通路の天井《てんじょう》が非常に高く、千メートル以上もあるような気がした。そのことをタクマ少年にいうと、少年は笑いをかみころしながら、
「天井の高さは、ほんとうは三十メートル位しかないんです。しかし照明の力によって、上に大空があると同じような錯覚《さっかく》をおこすようになっているのですよ」
 と、説明してくれた。
 僕は感心した。この進歩した海底都市では、人間の気分ということを大切に扱っている。気分を害するようなことは極力《きょくりょく》さけ、そしてすこしでも人間の気分をよくして生活を楽しませるように都市|施設《しせつ》や居住施設が工夫せられている。だからこの都市の人々は、誰もみなよく肥《ふと》って居り、血色もよく、元気に見える。声だって、みんなあたりへひびくようなでかい声を出す。どこからか息がすうすう抜けているような、あの焼跡で聞く虫細い声なんか、いくら探してもない。
 考古学教室は、五区の左側にある赤い煉瓦《れんが》づくりの古風な二階建であって、まわりには銀杏樹《いちょう》とポプラとがとりまいていた。僕はこの見なれた風景に、うっかりここが海底都市であるということを忘れるところだった。
「わざわざ、あのように赤煉瓦《あかれんが》なんかを使って建てたんです。なにしろ考古学の研究をするんですものねえ」
 とタクマ少年はあいかわらず忠実に案内役をつとめる。
「銀杏樹《いちょう》やポプラを植えこむには、ずいぶん困りました。でも、赤煉瓦のまわりには木がないと、考古気分が出ないというわけで、いろいろと工夫《くふう》をこらして、やっと成功したのです。ご承知でしょうが、樹木というものは、太陽がないと育たないものですからね」
「ふん。そのとおりだ」
「で、つまり成功した工夫というのは、人工で、太陽と同じ成分の光線の量を、この樹木だけに注ぎかけてあるんです。その器機は天井にありまして、あらゆる方向からこの樹木を照らしています。しかし私たちの目では、普通の照明とはっきり区別しては見えないのですけれど」
「そうかね。なんでも工夫をすると道は見つかるんだね」
「さあ、教室へ入ってみましょう。姉からも申したと思いますが、義兄《ぎけい》のカビ博士はたいへんな変り者ですから、何をいいましても、どうか腹をお立てにならないようにお願いいたします」
「大丈夫だとも。僕は十分心得ているよ」
 僕たちは古風なせりもちの下をくぐって、建物の中に入った。中世紀《ちゅうせいき》の牢獄の中かと疑うほどのうすぐらい廊下を二三度曲って奥の方へ行くと、タクマ少年は一つの扉の前に足をとどめた。扉には、「教室カビ博士|私室《ししつ》」という名札がかかっていた。
 と、いきなりその扉が動き出したと思うと壁の中にはいってしまった。開いた戸口に、頭の大きな一人の異様な人物が白い実験着をつけて現われ、僕をにらみつけた。
 その顔に、どこか見覚えがあった。


   標本勤務《ひようほんきんむ》


「カビ教授、ここにお連れした方がさっきテレビ電話でお話した本間さんでいらっしゃいます。どうぞよろしく」
 タクマ少年は、あざやかに僕をカビ博士に紹介してしまった。カビ博士は少年の義兄《ぎけい》に当たるんだから「ねえ兄さん」とでも呼びかけるかと思いの外《ほか》、そうはしないで「カビ教授」などと、しかつめらしく名を呼ぶところが、なんだかわざとらしかった。だが、それも博士が、特別なる変人だから、そのようにしかつめらしく扱うのかもしれなかった。
「君はちゃんと勤めるだろうな。途中で逃げ出すようなことはなかろうな。もしそんなことがあると、わしは君を保護することに責任がもてないんだ。今はっきり誓いたまえ」
 カビ博士は、あいさつも抜きにして、いきなり僕の頭の上で、かみつきそうないい方で、わめいた。
 僕はもちろん、勤めは怠《なま》けないから、ぜひ保護
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