をしていただきたいと頼んだ。
「ふむ。では契約《けいやく》した。学生が待っているから、早速《さっそく》標本《ひょうほん》になってもらおう。こっちへ来なさい」
 博士は廊下へ出ると、すたすたと右手の方へ歩き出した。その足の速いことといったらまるで駆足《かけあし》をしているようだ。僕は博士を見失ってはたいへんと、けんめいに後を追いかけた。そしてタクマ少年と、どこで別れてしまったのか知らないほどだった。
「なにをまごまごしている。ここだ、ここだ」
 博士のわれ鉦《がね》のような声にびっくりして、僕は博士が手招《てまね》きしている一つの室へとびこんだ。
(あっ、いい室だなあ)
 思わず僕は感嘆《かんたん》の声を放った。
 なんという気持ちのいい室であろう。室は小公会堂《しょうこうかいどう》ぐらいの大きさであるが、まるで卵の殻《から》の中に入ったように壁は曲面《きょくめん》をなしていてクリーム色に塗られている。清浄《せいじょう》である。そしてやわらかい光線がみちみちていて、明るいんだが、すこしもまぶしくない。
 室の中には、やまと服を着た男学生と女学生とが十四五名集まっていて、カビ博士と私を迎えた。男学生と女学生の区別は、男学生の方はぴったり身体にあう服を着ていて、身体の形がそのまま外に現われているのに対し、女学生の方は背中にひだのある短いカーテンのようなものを垂《た》らしていた。それから頭髪の形もちがっていて、女学生は髪を細い紐《ひも》みたいなものでしばっていた。
 カビ博士は、僕を連れて、室の中央まで行って、学生に紹介した。
「これは本間君といって、今から二十年前の人間だ。いいかね、二十年前だよ」
 学生たちは、黙ってうなずいた。非常におとなしい学生たちである。そして博士のいった事柄《ことがら》に、べつにおどろいている様子はなかった。僕は意外に思った。
「二十年前の人間と、現代のわれわれとの間に、いかなる人体上の差違があるか。この興味ある問題について、諸君はこれから好ましき一つの機会があたえられるであろう――さあ、装置を出すから、うしろへ下ってくれたまえ」
 博士がそういって、自分も五足六足うしろへさがった。学生たちも下がって、互いに間隔《かんかく》の広い円陣《えんじん》がつくられた。
「ええと……装置のエル百九十九号。二百一号、二百二号、二百三号。それからケーの十二号、四十号、八十号。それだけ」
 カビ博士は天井の方を向いて、まるで魔術師のように、装置の番号をいった。
 すると、目の前におどろくべきことが起った。それまでは一面に平らな床《ゆか》であったものが、博士のことばが終るか終らないうちに、まるで静かな海面に急に風が吹きつけて波立ちさわぎ出すように、床がむくむくと動き出し、下から妙な形をしたものがせりあがって来た。それはすべて、にぶい金属|光沢《こうたく》を持った複雑な器械類であった。ほんのしばらくのうちに、円陣の中にはりっぱな実験装置が出来上がった。
 平《たい》らな劇の舞台の上に、とつぜん大道具が組立てられ、大実験室の舞台装置が出来上ったようなものであった。その派手《はで》な大仕掛《おおじかけ》には、僕はすっかり魅《み》せられてしまって、ため息があとからあとへと出てくるばかりだった。
 この装置群の中央に、直径が一メートルに三メートルほどの台があり、その上に透明な、やや縦長《たてなが》な大きな硝子様《ガラスよう》の碗《わん》が伏《ふ》せてあった。そしてその中の台の上には、何にもなかった。そのくせ、まわりの各装置は、うるさいほどに、さまざまな器械器具によって組合わされているのだ。
「おい本間君。この中に入ってくれたまえ」
 博士はそういうと、いきなり僕の背中を押して、前へついた。と透明《とうめい》な大碗《おおわん》が、すっと上にあがった。その下へ僕がころがりこむのと、その透明な大碗が落ちて来てその中に僕をふせるのと、同時だった。


   時間軸《じかんじく》逆《ぎゃく》もどり


 大きな透明の碗《わん》の中にふせられてしまった僕は、覚悟の上とはいいながら、やはりあわてないでいられなかった。僕は碗から外へ逃げだし、行動の自由をとりかえしたいと思って、碗の内側をぐるぐると這《は》いまわった。が、どこにも脱けだすすき間は見つからなかった。
 僕は、透明な碗のふちに手をかけて、この碗を持ちあげることを試みた。だが、それもだめだった。碗は非常に重い。カビ博士はあのようにこの碗をかるがるとあつかったのに……。
「もしもし、僕をここから出して下さい。いくら僕が標本勤務をひきうけたといっても、こんなに人格を無視した監禁《かんきん》をするなんてけしからんじゃないですか」
 僕は大憤慨《だいふんがい》をして、透明碗の壁を両手でたたき続けた。
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