は、早足のタクマ少年に手を引張られて、人波の中をぐんぐん歩いていった。これが大きなおどろきの序幕《じょまく》だとは露知《つゆし》らずに……。


   長い廊下《ろうか》


「ここが、そうなんです。姉の経営しているヒマワリ軒《けん》という料理店です」
 タクマ少年が、僕の袖をひいて立ち停《どま》らせたのは、上品な店舗《てんぽ》の前だった。白と緑の人造大理石《じんぞうだいりせき》を貼《は》りめぐらし、黄金色《こがねいろ》まばゆきパイプを窓わくや手すりに使ってあった。
「ほう、なかなか感じのいい店だ、さぞ料理もおいしいであろう」
 僕はタクマ少年について、店内へ入った。この店内の構造が、僕を面くらわせた。
 これまでの僕の知識によると、料理店の構造は、まず玄関を入ると、お帽子《ぼうし》外套《がいとう》預《あず》かり所《じょ》があり、それから中へはいると広間があって、ここで待合わせたり、茶をのんだりする。その奥に大食堂があって、卓子《テーブル》の準備が出来るとボーイさんが広間まで迎えに来る。まず、そういう構造の料理店が普通で、その外に酒場がついているところもあった。
 ところが、このヒマワリ軒と来たら、だいぶん勝手がちがう。まず入口を入ったすぐのところが円形《えんけい》の広間になっていて、天井は半球《はんきゅう》で、壁画が秋草と遠山の風景である。急に富士山麓《ふじさんろく》へ来たような気持ちになる。あまり高くない奏楽《そうがく》が聞こえていて、気持はいよいよしずかになる。そこで二分間ばかり待たされていると、「どうぞ、こちらへ」という声がして奥へ通ずる扉を自動的に開かれる。そこで私たちは奥へぞろぞろ入って行く。
「タクマ君。僕たちはなぜ待たされたんだい。やっぱり食卓の用意をととのえるためかい」と、僕は少年にきいた。
 すると少年は、頭を横にふってそれから僕の耳へそっと囁《ささや》いた。
「違いますよ。あそこで僕たちは消毒をされたんです。外から入って来た者は、どんなばい菌を身体につけているか分りませんから、それでガスで消毒したんです。もうきれいになりました。服も手も足も口の中も、十分に殺菌《さっきん》されましたから、ご安心なさい」
「ははん、そうかね」
 僕は、感心してしまった。
 ところが、今僕がタクマ少年と歩いている廊下なんだが、それがいやに長い。その廊下はどこまでもぐるぐる廻って長く続いている。廊下の壁紙の模様は、蔦《つた》の葉や紅葉《もみじ》や松などに変っていくが、しかし至極《しごく》単調である。照明も、あまり明るくない間接照明だ。ゆるやかな音が聞えてくることは、前の円形の部屋と同じだ。
「ずいぶん歩かせるじゃないか」
 僕はたまらなくなって、タクマ少年に耳うちをした。
「食前には正常な歩調で姿勢を正しく歩くとたいへん消化力が強くなるから、こうして歩くのです。この廊下は、迷路に似たもので、家の中をぐるぐる廻るようになっていますが、しかし一本道ですから、決して迷うようなことはありません。それにこの廊下を通る間に、私たちに対して或る重要な測定が行われているのです」
「重要な測定!」
「そうです。それがどんな重要な測定であるかは、やがて食卓につけば分ります。それまでこの話はお預りにしておきましょう」
 僕は異常な興味をかきたてられたが、しばらく辛抱することにした。そしてまた歩き続けた。
 そのうちに僕は、当然気がかりなことを思い出した。
 それは外《ほか》でもない。僕がこの料理店に支払うだけの金を持っているかどうか、蟇口《がまぐち》の中味のことが心配になったのだ。
「君、君。ちょっと聞くがね、この店の料理の値段はいくらだろうか。一人前が何円かね」
「料理の値段ですか。それは一人前五点にきまっています」
「五テン? 五テンて何だね。まさか五円の間違いではなかろうが……」
「五点です、間違いなしです」
 僕はタクマ少年の言葉を解しかねたが、ポケットに手を入れて財布《さいふ》をさがした。財布らしいものはどこにもなかった。これはいけない、金がなくては料理どころではない。
「あのうタクマ君。はなはだ僕がうっかりしていたが、僕はお金を持って来るのを忘れたんだがねえ。だから食事は、やめにしよう」
「ああ、支払いのことなら心配いらないです。あとで政府から支配命令書が来たとき払えばいいのですから」
「ああ、そうかね。それで安心……」
 僕は、腹をさすった。
 さて僕たちは二百メートルも長廊下を歩いた末に、やっと大食堂に出た。そして案内されるままに一つの食卓についたが、その食の豪華さに目を奪われた。
「お客さん、料理が来ましたよ」
 タクマ少年の声に、僕は食卓へ目を移したが、そのときは僕は意外さに目をみはらねばならなかった。


   見えざる診察者《
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