しんさつしゃ》
「おや、タクマ君。君の料理はいやに量がすくないじゃないか。それに、僕の皿に盛ってある料理に較《くら》べると見劣《みおと》りがするじゃあないか。ははあ、君は料理を注文するときに、わざと遠慮《えんりょ》したんだね」
僕はそういって、食卓越しにタクマ少年の顔を見た。
タクマはそれを聞くと、にやにや笑い出した。
「お客さん。僕は遠慮なんかしませんよ。だってそうでしょう、ここは僕の姉の経営している料理店ヒマワリ軒なんですものねえ」
「でも、君。僕ばかりがこんなすばらしいごちそうをたべるんじゃ、気がひけるよ。君は遠慮しているのに違いない」
「そうじゃないんですよ、お客さん。そんな大きな声を出して、他の人に聞かれると笑われますよ。だって、食事にどんなものをたべるかということは、自分が勝手にきめることが出来ないんですものねえ」
「なんだって。料理店で食事をするのに、自分で好みの料理をあつらえることが出来ないと、君はいうのかね」
そんなばかなことがあってたまるものか。僕はタクマ少年の言葉を信じかねた。
「そうですとも」タクマ少年は自信にみちた声でいった。
「私たちの現在の健康状態に最も適した料理が選ばれるのです。それは保健省《ほけんしょう》の仕事なんです」
「なにを君はいってるのか、さっぱり君の話はわからないね」
「わからないですかねえ。いいですか。私たちの健康状態は、めいめいに違っています。脳の疲れが他人よりもひどい人もあれば、また心臓が弱っている人もあります。ですから脳の疲れている人には、脳の疲労を急速になおすような料理をたべさせることが必要ですし、また心臓が弱っていて脈がよくない時には、心臓を強くしてやる力のある食物をすぐたべさせなくてはならないのです」
「ふん。それはわかるが、そんな薬をのめばいいじゃないか」
僕はそうだと思うから、またいつもそうしているから、そのようにいった。
「いや、薬をのんで健康の失調をなおすなどということは昔流行した不自然な、そして損なやり方です。あの妙ちきりんないやな味のする薬をのむ不愉快を考えてみただけでも、あれは人間のすることじゃありませんね。だから近世においては、食物でもって健康の失調をなおすのです。つまり、健康の水準に戻すために、一番適した料理をたべる。その人の健康がなおる料理だから、身体によく合います。だからそれをたべると、いかなる他の料理をたべるよりもずっとおいしく感ずるのです。一挙両得《いっきょりょうとく》とは正《まさ》にこのことです。健康の失調はなおるし、口にもすてきにおいしいし、両得ではありませんか」
タクマ少年のいうことは、なるほど道理にかなっている。誰だって、薬をのむよりは、おいしい料理をたべることを好むだろう。魚がたべたくて仕様がないときには魚肉が持っている蛋白質《たんぱくしつ》やビタミンのAやDが身体に必要な状態にあるわけだし、昆布《こんぶ》がたべたくて仕様がないときには、身体に沃度分《ヨードぶん》が必要な場合なのであろう。
「しかしねえ、タクマ君。僕らが今どのような健康状態にあるかを知らないくせに、このとおり特別料理を僕らにあてがうのは、でたら目すぎるではないか」
「いや、そんなことはありません。私たちはこの食堂に入る前に、ちゃんと健康状態を調べられたんだから、まちがった料理をたべさせられることはありませんです」
「あんなことをいってら、いつ、僕らの健康状態が調べられるかね。そんな診察なんかちっとも受けやしなかったじゃないか」
僕はタクマ少年のでたら目をやっつけた。
「いいえ、ちゃんと診察されましたよ」
タクマ少年のこの返事は、僕にとって意外だった。
「君はどうかしているよ。少なくとも僕はどこに於《おい》ても診察されたおぼえがない」
「たしかに診察は行われました。さっき待合室で消毒されてから、この大食堂へ入るまでに、かなり長い廊下を一人ずつ歩かされましたねえ。あのとき私たちは一人ずつ診察をうけたのです」
「おや、そうかね。だが、誰も医師らしい人は見えなかったし、僕の胸に聴診器《ちょうしんき》があてられたおぼえもないが……」
「あれは廊下の両側の壁の中に、電気|診察器《しんさつき》があって、それで診察するんです。ですから見えもしないし、また非常にくわしい診察も出来るわけです。あんまりしゃべって[#「しゃべって」は底本では「しゃべて」]いると、料理がまずくなりますから、たべましょう。どうもごちそうさま」
「そうだ。とにかくたべなくてはね。大いに腹が減った」
「私に出された料理が、お客さんのよりもみすぼらしいということは、お客さんの方が私よりも健康の失調がひどいのです。おわかりでしょう」
なるほど、たしかにそうだ。
カスミ女史《じょし》
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