世界的考古学者また生物学者として称《たた》えられ、また海底のそのまた底までさぐって魚人代表を連れてかえったその勇気と辛抱づよさとその人徳をも賞めあげられた。
 カビ博士は、時に僕と目をあわせると、くすぐったそうに笑った。
(どうも具合《ぐあい》がわるいよ。ほんとは、みんな君の手柄なんだからねえ)
 僕は、博士のちぢれた髭《ひげ》がくすぐったい笑いのために、ふるえるのを見るのは愉快であった。あの気むずかしい博士は、今や学界といわず市民たちからといわず、尊敬のまとになってしまって、二十四時いつも彼らの前へひっぱり出されているので、むずかしい顔なんか五分間もしていられないのだ。それは彼にとって、むずがゆい苦しさにちがいない。
 僕は、このお祭さわぎの中に、すこしも表面に立っていない。そのわけは、僕は日かげの身で、表面には立てないのだ。僕は、表向きに名のりをあげると、ただちに逮捕せられて、例の海底牢獄《かいていろうごく》へぶちこまれるにきまっている。僕はカビ博士の努力によって、ようやく考古学の標本または実験動物として、この世界に逗留《とうりゅう》を黙認されている次第《しだい》だ。
 だから、この間から僕の演じた冒険も外交交渉も、何もかもすべてカビ博士自らが行ったことになっているのだ。
 影の人だ。僕は影にいて、賞讃でもみくちゃになるカビ博士をくすぐったく隙見《すきみ》しているわけだった。
 僕は、ほんとなら、このお祭さわぎの席には顔を出したくない。しかし、そうしないわけに行かないのだ。なぜならオンドリをはじめ五人の代表魚人たちは、もともと僕との交渉により、僕を信用して、はるばるここまで足をはこんだのである。だから、僕の姿が、彼らのそばから少時間消えても、彼らは非常な不安な色をうかべて僕を探しまわるのであった。そういうことは、ことに始めの一週間ばかりにおいて甚《はなは》だしかった。
 僕は、ひやひやしながら、魚人たちの身のまわりの世話や、連絡にあたった。僕は、影のない身であることを海底都市の人に知られまいとして、どんなに毎日苦労をしたか知れない。僕は安全な間接照明の室をよって走りまわった。さもなければ雑《ざっ》とうの巷《ちまた》が安全だった。そこでは影法師《かげぼうし》のことなんか誰も注意していないから。
 五名の代表たちは、海底都市の市長や委員たちにほんとうの会談をとげるまでに四五日かかった。それは彼らが、海底都市における生活になれないためと、そしていろいろな気づかれが重なったせいであった。
「いかがですか、オンドリ氏。もうすこしは空気の中の生活になれましたか」
 僕は、五日目にそのことをたずねた。それは市長たちが一日も早く会談を始めたくて、カビ博士に毎日のようにさいそくをしているからだった。
「ああ。ようやくなれて来たが、あまりながくここに逗留《とうりゅう》していると、病気になるね」
 オンドリ氏は、気密兜《きみつかぶと》の中から、そういった。
 彼ら五名は、いつでもこの気密兜を被《かぶ》り、気密服をすっぽりと着ていなければならなかった。この兜《かぶと》と服の中には、海水と、そして特別な気体とがはいっていた。それは彼らの呼吸になくてはならないものだった。彼らが身体をうごかしたとき、兜の透明板《とうめいばん》の中で、海水がしぶきをたてるのが、よく見られた。
 またこの兜や服は、彼らの裸身《らしん》にかかる圧力を、ちょうど適当に保っていた。これがないと、いつも圧力の高いところで生活していた彼らは圧力の低い空中ではとても生きていられないし、身体がたちまち気球のようにふくれてパンクするおそれがあった。
 それに、もう一つ、彼らの異様な形をした裸身《らしん》が、海底都市の人たちの目にとまって、不快な感じを持たれたり、きらわれたりするのを防ぐためにも必要だった。


   破局《はきょく》来《きた》る


 オンドリ氏をはじめトロ族の代表者たちが、いよいよ会談を始めることを承知した。
 会議場は、市会議事堂であった。
 海底都市側では、市長をはじめ七名の最高委員たちが出席した。
 カビ博士が急造した言語の翻訳器械は、各人の胸にとりつけられた。それは写真器ほどの小型のものだったが、なかなか成績は優秀で、相手の言葉はこの中ですぐ翻訳されて生理波《せいりは》となり、自分の脳を刺戟《しげき》する。すると相手の言葉が自分たちの言葉となって感ずる仕掛だった。
 つまり、じっさいに相手の言葉は音響とならず、直接に聴覚を刺戟して、音を聞いたと同じに感ずるのだった。
 会談は、すらすらとは行かなかった。
 オンドリ氏を始めトロ族の委員たちは、会談が始まると、急にはげしい気性《きしょう》を表に出して、これまでのかずかずの惨害《さんがい》事件をならべあげて、海底都市
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