のに僕のエネルギーは精一ぱいであった。誰が僕の背中を押して水を吐かせているのか、誰が口論《こうろん》してるのか、頭をあげてその方を見る余裕など全くなかった。
それでも、時間の経過するにつれ、もうろうたる意識ながら、それがすこしずつ整理されて来るようであった。
すなわち、僕は盛んに罵《ののし》りあう男女の言葉の意味がところどころ分るようにもなったし、また僕の臀部《でんぶ》にいくども注射針がぶすりと突立てられることも分った。
「なんといっても、あたしの説が正しいと証明されたわけよ」
「いいや、そうはいえない。僕の説の方が正しい。そうでしょう、この実験動物は、正《まさ》に溺死《できし》してしまったじゃないですか」
「それは溺死したかもしれないわ、でもそれはこの実験動物が、目下|腮《えら》を備えていないために、水中で呼吸が出来ないという構造を持っているためよ。溺死しようと、この実験動物が水槽の中で見せた水中動物らしいあのすばらしい運動や反射作用や平衡感覚などはあたしの説を正しいものと証明したじゃありませんか。正にこの実験動物は、水中動物たるの機能を持ち、機能を保持していると断定できる。そうじゃなくって」
「そりゃね、いくぶんそれは認められるけれど……」
「ああ、なんてしみったれな仰有《おっしゃ》り様《よう》でしょうか。これだけ明らかなことを、しぶしぶ認めるなんてフェア・プレイじゃないわ」
「だがね、とにかくこの実験動物は一度|溺死《できし》してしまったんだ。だから、そう大きなことは、いえないわけだ」
「あなたは頭が悪いのね。そういう難癖《なんくせ》のつけ方は、何といってもフェアじゃないわ」
「まあ、そういうなら、それでもいいということにして、僕はもっとくりかえし、この実験を続けることを提議《ていぎ》しますね」
「それはもちろんあたしも同感ですわ」
僕は急に目がまわりだした。僕の頭の上で、があがあ口論をやっているのは、男大学生のトビと女大学生のダリア嬢にちがいない。かねてこの御両人は熱心に人体に残る平衡器官の研究をすすめていたわけだが、両者の説は対立していて正しいか然《しか》らざるか判定がつかないので、遂に両人は僕をホテルのベッドから盗み出して、かの水槽へ入れ、魚のような目にあわしたのに違いない。その揚句《あげく》、乱暴にも僕を溺死させたが、まだそれにあきたらないで僕を実験動物と呼び、そしてその僕をもっと金魚《きんぎょ》や鮭《さけ》のまねをさせようといっているのである。溺死はもうたくさんだ。この上第二回、第三回の溺死をくりかえされていると、そのうちに僕は弱ってしまって、いくら注射をうっても生きかえらなくなることだろう。僕は大いに抗議をしたいと思ったが、残念なことに口も身体もきかない。
「あたし、考えたんですけれどね」
とダリア嬢が元気一ぱいの声でいう。
「この次の実験には、この実験動物が水槽で楽に呼吸が出来るように呼吸兜《こきゅうかぶと》を頭にかぶせようと思うんですの。つまり、適当に酸素を補給させ、過剰の炭酸|瓦斯《ガス》が排出《はいしゅつ》されるようになっていればいいんですから、そのような呼吸兜を作るのはわけありませんわ」
「それはいいでしょう。しかし身体の釣合いを破らないように考えないといけませんね」
「そうですね。身体の他の部分にも別の錘《おもり》をつけましょう。あたしはもっといろいろと考えていますのよ、発展的な実験をね」
「発展的な実験というと、どんなことをしますか」
「すこし大胆《だいたん》かもしれませんけれど、この実験動物をやがて深海へ放ってみようと思うんです。そして深海の重圧力《じゅうあつりょく》がこの実験動物の平衡器官にどんな影響を及ぼすかを調べてみたいと思います」
「それは面白いですね。しかしその実験を最後として、この実験動物は役に立たなくなりますよ。おそらくひどい内出血《ないしゅっけつ》をして死《し》んじまうでしょうからね」
「それはもう死んでもようござんす」
僕は聞いていて気が遠くなりそうだった。死んでもようござんすとは御挨拶《ごあいさつ》だ。おお、僕は一体《いったい》これからどうなるか。
絶望《ぜつぼう》の底《そこ》
女学生ダリア嬢と男学生トビ君のために、水槽の中で実験の道具にさんざん使われて、へとへとになっている僕の耳に、この次は呼吸兜《こきゅうかぶと》を僕にかぶせて深海へ放りこむつもりよとのダリア嬢の放言が響いた。
僕はおどろいたが、すっかり精力《せいりょく》をなくしているので、立上って逃げ出す元気はないばかりか、それに抗議する声さえ出なかった。
(もう駄目だ。僕はやがてこの両人に殺される。――殺された結果、僕は一体どういうことになるのか、元の世界へ舞い戻ることになるのか、それとも
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