をきめればいい。卓子《テーブル》を持って来れば、軽い飲物や喫煙に都合がいい。
 舞台は明るく、近くなく、遠くない距離にある。いい音楽。すてきな俳優たち。出しものは三つ。第一が「タンポポはどこへ飛んで行きたいか」第二は「火星人の引越しさわぎ」そして第三は「クレオパトラの蒸留《じょうりゅう》」と、番組に出ていた。今、舞台は「火星人の引越しさわぎ」が演ぜられていて、陽気な笑いが続いていた。
 客席は、朧月夜《おぼろづきよ》の森かげほどの弱い照明がしのびこんで来る程度であるから、隣の席の客がどんな顔をしているのか分りかねた。
 その客たちは、熱心に舞台を見ているわけではなく、盛んにコップの音をさせたり、ぺちゃくちゃしゃべったり屁《へ》をひったりするのであった。僕には勝手のちがうこと、いや呆《あき》れることばかりであった。
 それでも僕は、タクマ少年と並んでおとなしく見物を続けた。そのうちに睡《ねむ》くなって、とろとろんとしていると、かん高い女の声が耳にとびこんだので、はっと目ざめた。隣の席で、なにか言い合っているのだった。
「――いいえ違うわ、わたくしは、改造以前の人間といえども、海に棲息《せいそく》し得る特質を具備《ぐび》していると思うの。それは、あの人類は、海から陸へあがってから八千万年を経ているでしょうが、それでも尚且《なおか》つ人類は、その発生の故郷である海中生活に耐《た》える器官や本能を残して持っていると断定しますわ」
「それは一種の感傷主義《かんしょうしゅぎ》だ。もはや人類は、そういう能力を全然失っている。海中生活に耐える器官は痕跡《こんせき》程度残っているかもしらんが、海中|棲息《せいそく》の本能なんど有るもんですか」
 反対するのは男の声だ。この男女二人の声に、僕はいささか聞きおぼえがあった。


   平衡器官《へいこうきかん》


 クラゲ座の中の、僕の座席のうしろで、喜歌劇見物はそっちのけにして、しきりに人類学について論じ合っている若い男女の声。それは、昼間、考古学教室で見かけた熱心な学生のダリア嬢とトビ君の声にちがいなかった。
 両人は、僕がすぐ前に腰を下ろしていることも気がつかないほど、夢中になって論争を発展させていた。
「いや、そういう君の論は、甚だしく定量性《ていりょうせい》を欠《か》いている。退化が或る限度に及ぶと、もう器官は全然用をなさない
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