いた。
 たいへんなところへ来たものだ、ここは深い海底《かいてい》なのだ。してみると、あのホテルを出てからこっち、空だと思っていたのは空ではなくて、海底の町の天井《てんじょう》だったのか。
 ああ、息ぐるしい、海の底に缶詰になっている身の上だ――と、僕は強《し》いてそのように息ぐるしがってみたが、実はくるしくもなんともなかった。海底に缶詰になっているとは思えないほど、空気はさわやかであり、どこからともなくそよ風がふいて来て額のあたりをなでた。それにバラのようないい香がする……僕の気分は、おかげでだいぶん落ちついて来た。
「大丈夫ですか、お客さま」
 僕が立上ったのを見てタクマ少年は走りよった。
「ああ、もう大丈夫。……見物にかかりましょう」
「本当にいいんですか」とタクマ少年はまだ心配の顔で、僕を前の方へ案内し「ここから海の中が見えるんです。よくごらんなさい。魚や海藻《かいそう》だけではなく、お客さまをおどろかす物がなんか見えるはずですから……」
 僕をおどろかすものとは何のことだろう。僕は水族館の魚のぞきの硝子《ガラス》窓のようなものの方へ顔を近づけた。


   大海底《だいかいてい》


 僕は目を見はった。
 大きな硝子《ガラス》ばりの窓を通して、眼下にひらける広々とした雄大《ゆうだい》なる奇異《きい》な風景! それは、あたかも那須高原《なすこうげん》に立って大平原《だいへいげん》を見下ろしたのに似ていたが、それよりもずっとずっと雄大な風景であった。鼠色《ねずみいろ》の丘がいくつも重《かさ》なり合って起伏《きふく》している。それから空を摩《ま》するような林が、あちらこちらにも見える。
 と、その林がとつぜんゆらゆらと大きくゆれるのであった。すると林の中から、まっ黒な颶風《ぐふう》の雲のようなものが現われ、急行列車のようなすごいスピードで走る――と見えたは、よく見れば何千何万という魚群《ぎょぐん》なのであった。そしてうしろの林、これは、ポプラの木に似ているが実はそうではなく、大きな昆布《こんぶ》の林だということが分ってきた。
 雲のような魚群が、左から右からとぶっちがい、あるいはとつぜん空から舞い下りて来るように見えたり、あるいはまた急にすぐ前の硝子ばりの向こうを嵐のように過ぎて、まるでトンネルの中へ入ったようにしばらくは何にも見えなくなることもあった。すばら
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