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もういけない。爪先で立っていても、水が鼻孔《びこう》に入って来る。仕方がないから僕はもう立っていることを諦《あきら》めて平泳ぎをはじめた。
水は塩っからかった。
(なるほど、海水だな)
平泳ぎから立泳ぎになったり、また平泳ぎにかえったり、僕は二十分間ぐらい泳いだ。相手は僕を泳ぎ疲れさせて殺すつもりかもしれない。しかし僕は、水に浮いていることなら十八時間がんばった記録をもっている。だからちっとも恐れなかった。
ただ一刻も早く、この憎むべき陰謀の主を見つけだして、きめつけてやりたい。
相手は、どこからか僕の様子を監視しているのに違いない。そう思ったから、僕はますます落着きはらっているところを[#「ところを」は底本では「ところ」]見せるために、泳ぎながら佐渡《さど》おけさを歌ったり、草津節《くさつぶし》を呻《うな》ったりした。
「だめね、これでは。水の中へ潜らなくちゃ実験になりゃしないわ」
壁の向うと思うが、かすかではあるが、そんな風にしゃべる女の声を聞いた。
あれッと、僕が緊張《きんちょう》する折《おり》ふし、水槽の横手の方から、ぎりぎりと硝子《ガラス》の板が出て来て、僕の頭の上を通りすぎていった。
「やっ、硝子天井《ガラスてんじょう》だ」
とつぜん出現した硝子天井は、僕を完全に水中におし下げた。
こうなると、鉢の中に入れられた金魚《きんぎょ》か亀《かめ》の子同然だ。金魚や亀の子なら、水中ですまして生きていられる。しかし僕は人間だ。空気を吸わねば生きていられない。これはいよいよ溺死《できし》の巻《まき》か。
僕はなぜ溺死させられるのか。
迫《せま》る硝子天井《ガラスてんじょう》
水槽の中の水かさはいよいよ増した。
僕は泳ぎ続けていた。
頭が硝子天井につかえるまでに水かさは増した。まっすぐに顔を向けて泳ぐことは、もう出来ない。鼻の孔《あな》も口も、共に水中に没してしまうからだ。仕方なく僕は平泳ぎをしながら、顔だけは横に寝かして、辛《かろ》うじて息をつくことが出来た。
(一体何者か。僕をこんなに苦しめる奴は。まさか僕を殺すつもりじゃないだろうと思うが、ひどい目にあわすじゃないか)
僕は、一生けんめい水をかきながら、姿の見えないこの暴行《ぼうこう》の主を恨《うら》んだ。
ところが、水かさは更にずんずん増して来るではないか。硝子天
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