が昨夜貫一が撃って右脚を砕いた刑事と同一人だったとしたら、どんなに幸運に考えても足をひきそうなものであったが、彼はすこしもそんな風に見えなかったのである。もっとも、よく考えてみれば、右脚を失った人間が、その翌晩平気な顔をして煙草の火を借りに出て来られるものか来られないものか、すぐ分ることであった。
 夢徳寺《むとくじ》から弥勒菩薩《みろくぼさつ》の金像を背負って出で来た貫一の行手に、またもや縞馬姿の刑事が立ち塞《ふさが》ったのには、さすがの貫一もぞっとした。毎晩の如く現われて尽きる模様もない刑事の執念《しゅうねん》――というか、徹底した警戒ぶりに、貫一は日頃の自信が崩れ出したのを認めないわけに行かなかった。
「よくも毎晩のように邪魔をしやがる。くそッ、これを喰え」
 ピストルは一発、発射された。
 それは見事に刑事の左脚に命中し、太腿《ふともも》のところから千切ってしまった。貫一の使っているのは特殊な破壊弾であったから、こんな工合に恐ろしい破壊力を発揮するのであった。
 貫一は仏像を背負ったまま、今夜は倒れた刑事の方へ近づいた。月光の下に展開する凄惨《せいさん》な光景。
「間違いなく、左脚がちょん切れている。当人は虫の息だ。なまぐさい血の海。――あと二三十分の寿命《じゅみょう》だろう。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》」
 貫一は安心をして、その場を立った。
 烏啼の館に、四体の仏像が集った。烏啼はいつもの口癖で、なにかなかったかと訊いたが貫一はいつもの口癖で、異状なしと答えた。


   弥陀本願《みだほんがん》


 いよいよ大願成就《たいがんじょうじゅ》の第五夜となった。
 今宵のお寺は、練馬《ねりま》の宇定寺《うていじ》で、覘う一件は、唐の国から伝来の阿弥陀如来像《あみだにょらいぞう》であった。月はかなりふくらんで中天に光を放ち、どこからともなく花の香のする春の宵であった。
 またもや縞馬姿の刑事が、森蔭を出て、煙草の火を借りに来たのには愕くよりも呆《あき》れてしまった。
「君は、たしかに毎晩出て来る男に相違ないよ。君は幽霊かい」
「冗談じゃないですよ。私はこのとおりぴんぴん生きています」
 刑事は、貫一の前で地響をたてて四股《しこ》を踏み、腕を曲げてみせた。なるほど幽霊ではなさそうだ。
「でも変だね。たしかに命中して腕をとばし脚を千切り……いや、これはこっちのことだが、おれはさびしいや」
「全くこの辺は物騒ですから、気をおつけなさい」
 刑事が行ってしまうと、貫一は、
「おれがピストルを持てば天下無敵だと思っていたが、その腕前ももう怪《あや》し気《げ》なもんだ」と歎息した。
 仏像を背負って出て来た貫一を、やはり前四夜と同じように遠方から見咎《みとが》めて駆付けて来る縞馬姿の刑事! 貫一はピストルを握って、刑事の首に覘いをつけた。今夜は思い切って刑事の首を飛ばしてやろうと考えたのだ。
 だが彼はその寸前に思い停って、もう一度右腕を覘って、一発ぶっ放した。すると刑事は蝙蝠のような恰好をしてとび上ったと思うとその場にぱったり倒れた。彼の右腕は、彼の身体から二メートルも離れたところに転がっていた。
 貫一は、傷つける刑事の傍に寄った。刑事は虫の息だった。貫一は、むらむらとして、ピストルを取直すと、刑事の心臓に覘いをつけた。……が、間もなく彼は周章《あわ》ててピストルを持った手をだらりと下げた。
「……おれが二発目を発射するような気になるなんて、もう焼きが廻ったんだ。ピストルも、今夜かぎり、お別れだ」
 そういうと貫一は、ピストルを空高く投げた。やがて森かげの池の水が、ぽちゃんと鳴って、貫一無念のピストルを呑《の》んだ。

 五体の秘仏の前で、一心発願した的矢貫一が、お志万と結婚の式をあげた。
 烏啼も大よろこび、お志万はいうに及ばず貫一も今は万更《まんざら》ではない面持で、お志万の手を握って放さなかった。
 眷族《けんぞく》や仲間が百名ちかく集っての盛大な酒宴が開かれ、盃は新郎新婦へ矢のようにとんだ。
 宴の半ばに二人連れの客が、新郎の前にぴたりと座った。貫一はその客を見て愕いた。一人は猫背に黒眼鏡の、有名な探偵袋猫々であったし、もう一人は縞馬服の例の刑事であったから。
「わっはっはっ」と、貫一の横に座っていた烏啼が大きく笑った。
「貫一。このお二人さんによくお礼を申上げな。これはお前たちの大恩人だからね」
「この幽霊め、また今夜も出て来たか」
「おい、そんなことをいってはいけない。この方は、袋猫々先生が特に探して来て下すった福の神で、実はこの方は、戦争で両腕両脚をなくされて、手足四本とも義手義足をはめられていられる方なんだ。いいかね、そこでお前は思い当ることがあるだろう」
「おお……」
「義手や義足をピストルで撃ってみても、
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング