烏啼の本塞《ほんさい》の奥の間で、夕飯の膳が出ていた。烏啼天駆と、問題の義弟の的矢貫一と、そしてかねて烏啼が的矢に娶《めあ》わせたいと思っている養女のお志万と、この三人だけの水入らずの夕餉《ゆうげ》だった。
お志万は丸ぽちゃの色白の娘で和服好み、襟元《えりもと》はかたくしめているが、奥から覗《のぞ》く赤い半襟がよく似合う。お志万は天駆と貫一へのお酌に忙しい。
「おい貫一。こんどはお前も自ら責任をとって万事をやれよ」
「はい、はい」
「責任ある生活を始めるには、何といってもまず身を固めにゃならねえ。結論をいえば、お志万と結婚し新家庭を作れやい」
「いや、それは御免《ごめん》を蒙《こうむ》りましょう」
「御免を蒙る。なぜだ。可哀想にお志万は、お前の出獄するのを指折りかぞえて待っていたんだぜ」
「それはどうも済みません、だが、兄貴の言葉にゃ従いかねる」
「お前はお志万が嫌いかい。はっきり返事をしなさい」
「お志万さんだけじゃねえ、僕は、およそ女と名のつくものが好きになれないんだ」
「ぷッ」烏啼はふきだした。「冗談も休み休みにいえ。若い男の癖に、女が嫌いなどと……」
「性に合わないから合わないというんですよ。お志万さん、御免よ、ね」
お志万は下俯向《したうつむ》き、前垂《まえだれ》をぎりぎりと噛んで、二三度|肯《うなず》いてみせる。その白い襟元の美しさに烏啼は目をやって、貫一の奴はどこかに欠陥があるのかなと思った。
「さあ、ここらで飯にしよう」
と、貫一は茶碗をお志万の方へ差出した。
貫一は、軽く二杯をかきこむと、急いで席を立とうとした。
「待て、貫一」
と烏啼は手をあげて停めた。
「僕は約束があるんだ。だから……」
「約束なんかないよ。ごま化《か》すない。それよりも、おれはお前にいいつけることがある、さ、もう一度座りなよ」
「お志万さんのことなら、何度いっても駄目だ」
「そのことじゃねえ。商売のことさ。出獄したところでお前に一つ腕前を奮って貰わなくちゃ、烏啼天駆の弟で候《そうろう》のといっても、若い奴らが承知しねえ。かねておれが用意しておいた大仕事があるんだ。お前は仕事始めに、それをやるんで。その代り骨が折れるぜ」
烏啼の声がだんだん、毒味を加えた。
「へえ……」
貫一は目をぱちくり。
「お前、胆《きも》っ玉は大丈夫だろうね」
「兄貴は本気でものをいっている
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