向うの角を曲って、電車が近づいてきた。
 杜は強い肘《ひじ》を張ってミチミのために乗降口の前に道をあけてやった。ミチミは黙って、踏段をあがった。そのとき彼はミチミのストッキングに小さい丸い破れ穴がポツンと明いていてそこから、彼女の生白い皮膚がのぞいているのを発見した。
 杜もつづいて電車にのろうとしたが、横合から割こんで来た乱暴な勤め人のために、つい後にされちまった。だから満員電車のなかに入った彼は、ミチミの隣の吊り皮を握るわけにはゆかなかった。
 やがて電車は、彼の乗り換えるべき停留所のところに来た。彼はミチミに別れをつげるために、彼女の方を向いた。
 ミチミは彼のために、顔を向けて待っていた。そして彼がまだ挨拶の合図を送らないまえに、
「兄さん、いってらっしゃい」
 と、二、三人の乗客の肩越しにいとも朗かな声をかけた。しかし、愕《おどろ》いたことに、ミチミの声に反して彼女の眼には泪《なみだ》が一ぱい溜っていた。
「大丈夫。気をつけて行くんだよ」
 彼はミチミを励ますために、ぶっきら棒な口の利き方をした。そして屈托《くったく》のなさそうな顔をして、乗客に肩を押されながら、電車を
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