しい。あの颯爽《さっそう》たる青年、見るからに文化教育をうけたらしいスッキリした東京ッ児――それが百年も前からミチミを恋人にしていたような態度で「ミチミ、ミチミ!」と呼んでいるのだった。ああ万事休す矣。また何という深刻な宿命なのだろう。お千と自分との無様《ぶざま》な色模様を見せたのも宿命なら、いまさらこんなところでミチミに会ったのも宿命だった。
ミチミは頬を膨らまし、背中を向けて向うへいってしまった。杜には、あれがいつものミチミなのだろうかと疑ったほど、彼女の身体はあか[#「あか」に傍点]の他人のように見えた。お互に理解し合うことはありながら、こうなっては、たとえ何から何までうちあけても、その一部とて信用されないかもしれない。それほど致命的なこの場の破局だった。杜は痛心を圧《おさ》えることができないままに、それからズンズン一人で歩きだした。
橋桁を渡って、本所区へ――
そして彼は当途《あてど》もなく何処までもズンズン歩いていった。まるで天狗に憑《つ》かれた風《ふう》のように速く――。
7
「よう、あんたァ、――」
と、お千が追いすがるようにして、後方《うしろ》から声をかけた。
「……」
杜はお千の声を聞いてピクンとした。しかし振り向き返りもしないで、相変らず黙々としてズンズン歩いていった。
「よう、何処まで行くのさあ。――」
それでも彼は黙って歩みつづけた。
するとお千がバタバタと追いついてきて、彼の腕をとらえた。
「こんな方へ来てどうするの。柳島を渡って千葉へでも逃げるつもりなのかネ」
でも、彼は執拗に黙っていた。お千は怒りを帯びた声で、
「チョッ」と舌打をし、彼の腕を邪険《じゃけん》にふり解《ほど》いた。
「なんだい、面白くもない。黙って見ていりゃ、いい気になってサ。いくら年が若いたって、あのざまは何だネ。あんな乳くさい女学生にゾッコン惚れこんで、手も足も出やしないじゃないか。あたしゃ横から見ていても腹が立つっちゃない。お前さんはなかなかしっかりもんだと思って、あたしゃ前から――イエ何さ、しっかりした人だと思ってたのさ。ところが今のざまですっかり嫌いになっちゃった。嫌いも嫌いも大嫌いさ。あたしゃもうお前と歩かないよ。飛んだ思いちがいさ。大河から土左衛門の女でも引張りあげて、抱いて寝てるがいいさ。意気地なしの、大甘野郎の、女たらしの……」
お千はまた興奮して、地団太《じだんだ》を踏み、往来の砂埃《すなぼこり》をしきりと立てていた。
杜は後向きになって、じっと足を停めていた。
「じゃお前さんともお別れだよ。あたしゃ好きなところへ行っちまうよ。――ああ、あのとき横浜の崩れた屋根瓦の下で焼け死んじゃった方がどんなに気持がよかったか分りゃしない。薄情男! 女たらし!」
そのとき杜は、顔をクルリと廻して、お千の方を見た。お千は不意を喰らって狼狽《ろうばい》し、開《あ》きかけた口を持て余し気味にただ大きな息を呑んだ。
杜はツカツカとお千の方に寄っていった。彼の勢いに呑まれたお千がタジタジとなるのを追いかけるようにして、杜はお千の手首をムズと補えた。肉づきのいい餅のように柔かな手首だった。
「――僕と一緒についてくるんだ。逃げると承知しないぞ」
「ええッ。――」
「意気地なしか大甘野郎かどうか、君に納得のゆくようにしてやるんだッ」
杜はお千の手首を色の変るほどギュッとつかんで、サッサと歩きだした。杜のこの突然の変った態度を、お千はどう理解する遑《いとま》もなく引張られていった。手首は骨がポキンと折れてしまいそうに痛んだ。その痛みが、彼女の身体に、奇妙な或る満足感に似たものを与えた。お千は引摺《ひきず》られるようにして、でも嬉しくもなさそうに眼を細くして、杜の云いなり放題にドンドン引張られていった。杜は柳島までも行かなかった。丁度《ちょうど》吾妻橋と被服廠跡との丁度中間ほどにある原庭町《はらにわちょう》の広い焼け野原のところ――といっても町名は明かではなく、どこからどこまでも区切のない茫漠《ぼうばく》たる一面の焼け武蔵野ヶ原であったけれど――この原庭と思われる辺に来て、杜は不図《ふと》足を停めた。
「この辺がよかろう」
杜は誰に云うともなくそう云った。
側《かたわ》らには小さな溝が、流れもしないドロンとした水を湛《たた》えている。それから太い大樹の無惨な焼け残りが、まるで陸に上った海坊主のような恰好をして突立っている。なんだか気味のわるい不吉な形だった。すこしばかりこんもりと盛り上った土塊《どかい》や、水の一滴もない凹《くぼ》み、それから黒くくすんでいる飛石らしいのが向うへ続いて、賑《にぎや》かに崩れた煉瓦塀のところまで達している。どうやら此処は、誰かの邸宅の庭園だったところらしい。
杜は怪
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