毎日毎日、宿泊所の朝が来ると、二人は連れだってそこを出た。それから杜は、ミチミと房子との二重の名のついた「尋ね人」の旆《はた》を担いで、避難民の固まっているバラックをそれからそれへと訪ねていった。お千は、まだ癒《なお》りきらぬ左の腕に繃帯を巻いたまま、どこまでも杜の後につき随《したが》って行った。
 そうして九月一日から数えて、十二日というものを、無駄に過ごした。杜の心は、だんだん暗くなっていった。それと反対に、お千の気持はだんだん落ちつきを取りかえし、日増しに元気になって、古女房のように杜の身のまわりを世話した。
 それは丁度九月十三日のことであった。
 杜はいつものように、お千をともなって、朝早くバラックを出た。その日はカラリと晴れた上天気で、陽はカンカンと焼金《やきがね》くさい復興市街の上を照らしていた。杜は途中にして、ミチミの名を書いた旆を、宿に置き忘れてきたことに気がついた。しかしいまさら引返すほどのこともないと思った。でもそのときは、まさかそれが、泣いても泣ききれぬ深刻なる皮肉で彼を迎えようとは、神ならぬ身の気づくよしもなかった。
 その日、図《はか》らずも彼は、もう死んだものとばかり思っていたミチミに、バッタリ行き逢ったのである。


     6


 所は焼け落ちた吾妻橋の上だった。
 まるで轢死人《れきしにん》の両断した胴中の切れ目と切れ目の間を臓腑がねじれ会いながら橋渡しをしているとでもいいたいほど不様《ぶざま》な橋の有様だった。十三日目を迎えたけれど、この不様な有様にはさして変りもなく、只その橋桁の上に狭い板が二本ずっと渡してあって、その上を危かしい人通りが、いくぶんか賑《にぎ》やかになっているだけの違いだった。
 杜は人妻お千を伴って、この橋を浅草の方から本所の方へ渡っていた。なにしろ足を載せる板幅がたいへん狭く、その上ところどころに寸の足りないところがあって、躍り越えでもしないと前進ができなかった。杜は肥《ふと》り肉《じし》の凡《およ》そこうした活溌な運動には経験のないお千に、この危かしい橋渡りをやらせるのにかなり骨を折らねばならなかった。
「さあ、この手につかまって――」
 と、杜が手を差出しても、お千はモジモジして板の端にふるえているという始末だった。そのうちに彼女は、水中に飴のように曲って落ちこんだ橋梁《きょうりょう》の間から下を見て、まだそこにプカプカしている土左衛門や、橋の礎石の空処に全身真赤に焼け爛《ただ》れて死んでいる惨死者の死体を見るのであった。すると両足がすくんでしまって、もう一歩も前進ができず、ただもうブルブルと慄《ふる》えながら、太い鉄管にかじりつく外《ほか》なかった。
 それは震災の日の緊張が、この辺ですこし弛《ゆる》んだため、さきには気がつかずに通りすぎたものが、ここでは、急にヒシヒシと彼女の恐怖心をあおったものだろう。――杜は仕方なく、そういうとこで、この大の女を背負うか、或いは両手でその重い身体を抱くかし、壊れた橋桁の上を渡ってゆくしかなかった。それはたいへん他人が見て気になる光景だったけれど、この際どうにも仕方がなかった。さもないとお千は川の中へボチャンと落ちてしまうにきまっている。
 ことに始末のわるいことは、この場になってお千が意識的に杜にしなだれ懸《かか》ることだった。彼女としては、恩人でもあり、またこの上ない情念の対象である彼に対して、せめてこういうときでも露骨《ろこつ》にしなだれかかるより外、彼女の気の慰められる機会はなかったからでもあった。それほど杜という男は、彼女にしてみればスパナーのように冷たく、そして焦《じ》れったい朴念仁《ぼくねんじん》であった。
「これ、そう顔を近づけちゃ、前方《まえ》が見えなくて、危いじゃないですか。一緒に河の中へおっこちてしまいますよ」
「ウフフフ……」とお千はヒステリックに笑った。そして、わざと唇を彼の耳朶《じだ》のところに押しつけて「あたしネ、本当はお前さんとこの橋から下におっこちたいのよ、ウフフフ」
 といって、太い両足を子供かなにかのようにバタバタさせるのであった。
「危い危い。冗談じゃない。そんな無茶を云うんだったら、僕はそこで手を離して、君だけ河ンなかへ落としちまう――」
「いやよいやよ。お前さんが離しても、あたしは死んだってお前さんの首を離しやしないわ、どうしてお前さんはそう邪怪《じゃけん》なんでしょうネ。いいわ、あたしゃ、ここで死んじゃうわよ、もちろんお前さんを道づれにして――」
「こーれ、危いというのに。第一、みっともない――」
 といったが、お千はもうすっかり興奮してしまって、そこが人通の多いところであることも、白昼であることにも、もう弁《わきま》えがないように見えた。杜の頸を巻いている彼女の腕がいきな
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