を真赤にして、先生のいうとおりになっていた。
「ああ、――」
少女の身体がフワリと浮きあがったかと思うと、やっと三寸ほどもしも[#「しも」に傍点]手の方へ動いた。
杜先生は少女の頭の下から腕をぬくと、その頭を静かに棺の中に入れてやった。彼女は鐚《わるび》れた様子もなく、ジッと眼をつぶっていた。花びらが落ちたような小さなふっくらとした朱唇《しゅしん》が、ビクビクと痙攣《けいれん》した。杜はあたりに憚《はばか》るような深い溜息を洩らして、腰をあげることを忘れていた。しかし彼の眼が少女の緑茶色の袴の裾からはみだした白足袋をはいた透きとおるような柔かい形のいい脚に落ちたとき慌てて少女の袴の裾をソッと下に引張ってやった。そのとき彼は自分の手が明かにブルブルと慄《ふる》えているのに気がついた。
女生徒の或る者が主役の前田マサ子の横腹をドーンと肘《ひじ》でついた。前田はクルリとその友達の方に向き直ると、いたずら小僧のように片っ方の目をパチパチとした。それはすぐ杜の目にとまった。――彼は棺の上に急いで黒い布を掛けると一同の方に手をあげ、
「さあ、ほかの人はみな、議事堂の前に並んでみて下さい」
といって奥を指した。
女生徒たちは気味の悪い笑いをやめようともせず、杜先生のうしろから目白押しになって壇の方についていった。
杜先生は壇前に立ち、この劇においてローマ群衆はどういう仕草をしなければならぬかということにつき、いと熱心に説明をはじめた。それから練習が始まったが、女生徒たちは腕ののばし方や、顔のあげ方について、いくどもいくども直された。
七、八分も過ぎて、ローマの群衆はようやく及第した。ちょっとでも杜先生に褒《ほ》められると、少女たちはキキと小動物のように悦《よろこ》ぶのであった。
「では、さっきのアントニオの演説のところを繰返してみましょう。――みなさん、用意はいいですか、前田マサ子さんは壇上に立って下さい。それから四人の部下は、シーザーの棺をこっちへ搬んでくる。――」
練習劇がいよいよ始まった。杜先生はたいへん厳粛な顔つきで、棺桶係の生徒たちの方に手をあげた。
四人の女生徒は棺桶を担いで近づいた。しかし彼女たちは一向芝居に気ののらぬ様子で、なにか口早に囁《ささや》きあいながらシーザーの棺を壇の方へ担いできた。先生の眼が、けわしく光った。
やがて棺は下におろされた。
アントニオが壇上で大きなジェスチュアをする。
「おお、ローマの市民たちよ!」
と、前田マサ子がここを見せどころと少女歌劇ばりの作り声を出す。
そこで棺の黒布がしずかに取りのぞかれる。……
――と、シーザーならぬ小山ミチミが棺の中に横たわっているのが見える――
という順序であったが、棺の蔽いを取ってみると、意外にも棺の中は空っぽだった。
「おお、これはどうしたッ」
「アラ小山さんが……」
一同は肝を潰《つぶ》して、棺のまわりに駈けよった。
「……あのゥ先生、棺をもちあげたとき、あたし変だと思ったんですのよ。だって、小山さんの身体が入っているのにしては、とても軽かったんですもの」
「ええ、あたしもびっくりしたわ」
「でも、担いでしまったもんで、つい云いそびれていたんですわ」
講堂入口をみたが、扉《ドア》はチャンと閉まっている。さっき棺桶を置いてあった長椅子の蔭をみたが、さらに小山ミチミの姿はなかった。たださっき彼が脱ぎそろえたスリッパがチャンと元のとおりに並んでいる。
杜先生は、講堂の扉を開けてとびだした。外には風もないのに花びらがチラチラと散っているばかりで、誰一人見えない。
不思議だ。
彼は大声をはりあげて、見えなくなった少女の名を呼んでみた。――しかしそれに応えるものとては並び建つ校舎からはねかえる反響のほかになんにもなかった。それはまるで深山幽谷《しんざんゆうこく》のように静かな春の夕方だった。
杜はガッカリして、薄暗い講堂の中にかえってきた。女生徒は入口のところに固まって、申し合わせたように蒼い顔をしていた。
「どうも不思議だ。小山は、どこへ消えてしまったんだろう!」
杜は、壇の下に置きっぱなしになっている空っぽの棺桶に近づいて、もう一度なかを改めてみた。たしかに自分が腕を貸して、この中に入れたに違いなかったのに……。
「変だなァ。――」
彼は棺の中に、顔をさし入れて、なにか臭うものはないかとかいでみた。たしかに小山ミチミの入っていたらしい匂いがする。
「オヤ――」
そのとき彼は、棺の中になにか黒いような赤いような小さな丸いものが落ちているのに気がついた。
なんだろうと思って、それを拾いあげようとしたが、
「呀《あ》ッ、これは――」
と叫んだ。釦《ぼたん》か鋲《びょう》の頭かと思ったその小さな丸いものは、ヌルリと彼の指を濡
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