ぶされた蟇《がま》のようにグシャリとなっていた。溝のなかには馬が丸々としたお臀《しり》だけを高々とあげて死んでいた。そうかと思うと、町角に焼けトタン板が重ねてあって、その裾から惨死者と見え、火ぶくれになった太い脚がニョッキリ出ていた。お千はそれを見ると悲鳴をあげて、彼の洋服をつかんだ。
 杜は、胸のなかでフフフと笑った。この女とても、自分が通りかからねば、あのようなあさましい姿になっていた筈だのに、それを怖がるとはなんということだろう、と。
 彼はふたたび焼野原の銀座通へ出て、それからドンドン日本橋の方へ歩いていった。おどろいたことに、正面に見たこともない青々とした森が見えたが、これがよく考えてみると、上野の森にちがいなかった。なにしろこの辺は目を遮《さえぎ》るものとてなんにもないのであった。――ああ今頃、ミチミはどうしているだろう。
「さあ、接待だ、遠慮なく持っていって下さい」
 と、路傍の天幕《てんまく》から、勇ましい声がした。
 杜がその方をみると、向う鉢巻に、クレップシャツという風体の店員らしいのが飛び出して来て、
「さあ、腹を拵《こしら》えとかにゃ損ですよ。――お握飯をあげましょう。手をお出しなさい。奥さんの分とともに、三つあげましょう。すこし半端だけれどネ」
 そういって若い男は、杜の手の上に、大きな握飯を三つ載せた。
 奥さん?
 杜はハッとしたが、それが後からついてくる人妻お千のことだと思うと、擽《くすぐ》られるような気がした。
 杜は、そこをすこし通りすぎたところで、お千の方をふりかえった。そして彼女の手に握飯を一つ載せ、それからまた考えて、もう一つをさしだした。
 女はそれを固辞《こじ》した。杜は自分はいいからぜひ喰べろとすすめた。女はあたしこそいいから、あなたぜひにおあがりといって辞退した。杜はこの太った女が、腹を減らしていないわけはないと思って、無理やりに握飯を彼女の手の上に置いた。すると握飯はハッと思うまに、地上に落ちて、泥にまみれた。
 女はそれを見ると、急に青くなって、腰をかがめて、落ちた握飯を拾いあげようとした。彼は愕いて、女を留めた。
 女は杜の顔を見た。女の眼には、泪がいっぱい、溜っていた。
「――すみません。あたしが気が利かないで。――」
「なァに、そんなもの、なんでもありゃしない」
 杜はまた先に立って、焼野原の間を歩きだした。
(どうも、困った女だ)
 と、彼は心の中で溜息をついた。この分では、この年増女房は、どこまでも彼の後をくっついて来そうに思われた。なぜ彼女は、どこかへ行ってしまわないんだろう。
 彼女が臆病なせいだろうか。一家が焼け死んだと思っているからだろうか。それとも彼が倒壊した棟木の下から手首を抜いてやって、彼女の一命を助けてやったためだろうか。
 そんなことが、何だというのだ。
 そのとき杜は、昨夜の出来ごとを思いだした。昨夜彼は、この女を護って、野毛山《のげやま》のバラックに泊った。女は、例の手をしきりに痛がっていたので、そこにあった救護所で手当を受けさせた。その後でも女は、なおも苦痛を訴え、そして熱さえ出てきた様子であった。彼は到底《とうてい》このままにはして置けぬと思ったので、救護所の人に、どこか寝られるところはないかと尋ねた。すると、それならこの裏山にあるバラックへ行けと教えられた。
 彼は女につきそって、バラックに入れられた。そこには多勢の男女が居て、後から分ったところによると、家族づれの宿泊所だった。バラックとは名ばかり、下に柱をくんで、畳が四、五枚並べてあった。天井は、立てば必ず頭をうちつけるトタン板であった。
 彼は思いがけなく、畳の上にゴロリと横になることができた。但し畳の上といっても、狭い三尺の方に身体を横たえるので、頭と脚とが外にはみ出すのであった。それでも女はたいへん喜んで、すぐ横になった。
 ところが、避難民が、あとからあとへと入ってくるのであった。だから始めは離れていたお千との距離が、前後からだんだんと押しつめられてきた。そして遂に、お千の身体とピッタリくっついてしまった。
 それでもまだ後から避難民が入ってきた。
「さあ、皆さん、お互《たがい》さまです。仰向きになって寝ないで、身体を横にして寝て下さい。一人でも余計に寝てもらいたいですから」
 窮屈な号令が掛った。そして係員らしいのが、皆の寝像《ねぞう》を調べに入ってきた。やむを得ず、畳の上の人たちは、塩煎餅《しおせんべい》をかえすように、身体を横に立てた。
「もっとピッタリ寄って下さい。夜露にぬれる人のことを思って、隙をつくらないようにして下さいよ」
 お千は遠慮して、向うを向いていたが、もうたまりかねて闇の中に寝がえりを打ち、杜の方に向き直った。そして彼女は、乳房をさがし求める幼児のよう
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