を見て、まだそこにプカプカしている土左衛門や、橋の礎石の空処に全身真赤に焼け爛《ただ》れて死んでいる惨死者の死体を見るのであった。すると両足がすくんでしまって、もう一歩も前進ができず、ただもうブルブルと慄《ふる》えながら、太い鉄管にかじりつく外《ほか》なかった。
 それは震災の日の緊張が、この辺ですこし弛《ゆる》んだため、さきには気がつかずに通りすぎたものが、ここでは、急にヒシヒシと彼女の恐怖心をあおったものだろう。――杜は仕方なく、そういうとこで、この大の女を背負うか、或いは両手でその重い身体を抱くかし、壊れた橋桁の上を渡ってゆくしかなかった。それはたいへん他人が見て気になる光景だったけれど、この際どうにも仕方がなかった。さもないとお千は川の中へボチャンと落ちてしまうにきまっている。
 ことに始末のわるいことは、この場になってお千が意識的に杜にしなだれ懸《かか》ることだった。彼女としては、恩人でもあり、またこの上ない情念の対象である彼に対して、せめてこういうときでも露骨《ろこつ》にしなだれかかるより外、彼女の気の慰められる機会はなかったからでもあった。それほど杜という男は、彼女にしてみればスパナーのように冷たく、そして焦《じ》れったい朴念仁《ぼくねんじん》であった。
「これ、そう顔を近づけちゃ、前方《まえ》が見えなくて、危いじゃないですか。一緒に河の中へおっこちてしまいますよ」
「ウフフフ……」とお千はヒステリックに笑った。そして、わざと唇を彼の耳朶《じだ》のところに押しつけて「あたしネ、本当はお前さんとこの橋から下におっこちたいのよ、ウフフフ」
 といって、太い両足を子供かなにかのようにバタバタさせるのであった。
「危い危い。冗談じゃない。そんな無茶を云うんだったら、僕はそこで手を離して、君だけ河ンなかへ落としちまう――」
「いやよいやよ。お前さんが離しても、あたしは死んだってお前さんの首を離しやしないわ、どうしてお前さんはそう邪怪《じゃけん》なんでしょうネ。いいわ、あたしゃ、ここで死んじゃうわよ、もちろんお前さんを道づれにして――」
「こーれ、危いというのに。第一、みっともない――」
 といったが、お千はもうすっかり興奮してしまって、そこが人通の多いところであることも、白昼であることにも、もう弁《わきま》えがないように見えた。杜の頸を巻いている彼女の腕がいきな
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