。
(どうも、困った女だ)
と、彼は心の中で溜息をついた。この分では、この年増女房は、どこまでも彼の後をくっついて来そうに思われた。なぜ彼女は、どこかへ行ってしまわないんだろう。
彼女が臆病なせいだろうか。一家が焼け死んだと思っているからだろうか。それとも彼が倒壊した棟木の下から手首を抜いてやって、彼女の一命を助けてやったためだろうか。
そんなことが、何だというのだ。
そのとき杜は、昨夜の出来ごとを思いだした。昨夜彼は、この女を護って、野毛山《のげやま》のバラックに泊った。女は、例の手をしきりに痛がっていたので、そこにあった救護所で手当を受けさせた。その後でも女は、なおも苦痛を訴え、そして熱さえ出てきた様子であった。彼は到底《とうてい》このままにはして置けぬと思ったので、救護所の人に、どこか寝られるところはないかと尋ねた。すると、それならこの裏山にあるバラックへ行けと教えられた。
彼は女につきそって、バラックに入れられた。そこには多勢の男女が居て、後から分ったところによると、家族づれの宿泊所だった。バラックとは名ばかり、下に柱をくんで、畳が四、五枚並べてあった。天井は、立てば必ず頭をうちつけるトタン板であった。
彼は思いがけなく、畳の上にゴロリと横になることができた。但し畳の上といっても、狭い三尺の方に身体を横たえるので、頭と脚とが外にはみ出すのであった。それでも女はたいへん喜んで、すぐ横になった。
ところが、避難民が、あとからあとへと入ってくるのであった。だから始めは離れていたお千との距離が、前後からだんだんと押しつめられてきた。そして遂に、お千の身体とピッタリくっついてしまった。
それでもまだ後から避難民が入ってきた。
「さあ、皆さん、お互《たがい》さまです。仰向きになって寝ないで、身体を横にして寝て下さい。一人でも余計に寝てもらいたいですから」
窮屈な号令が掛った。そして係員らしいのが、皆の寝像《ねぞう》を調べに入ってきた。やむを得ず、畳の上の人たちは、塩煎餅《しおせんべい》をかえすように、身体を横に立てた。
「もっとピッタリ寄って下さい。夜露にぬれる人のことを思って、隙をつくらないようにして下さいよ」
お千は遠慮して、向うを向いていたが、もうたまりかねて闇の中に寝がえりを打ち、杜の方に向き直った。そして彼女は、乳房をさがし求める幼児のよう
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