面会の終《おわり》へ来たことに気がつくものである。臼井青年は、いい足りなさそうな顔付で、その部屋を出て行った。
 臼井の姿が部屋から消えると、課長はその途端《とたん》に彼から頼まれたことを一切忘れてしまった。これは永年に亙る課長の修養の力でもあったり且又《かつまた》習慣でもあった。“ものごとを記憶するよりは、出来るだけ忘れよ”という金言があったと確信している田鍋課長であった。
 だが課長は、間もなく臼井から頼まれたことをはっきり思い出さないわけにはいかない運命の下《もと》にあった。それは彼が忠実に未決書類函へ手を延ばし、黒表紙の引継簿の仕切紙の挟まっているところを開いて読んだときに、そうなったからである。
 その頁は、昨夜の池袋駅事件につき、第二報告書が赤インキで書き入れてあって、
“――前記姓名|未詳《みしょう》の男は、二十五歳前後の青年にあらずして、実は六十五歳前後の老人なること判明せり。かく判明せる原因は、該《がい》要保護人を署内(目白署)に収容せる後に至りて、該人物が巧妙なる鬘《かつら》を被《かむ》り居たることを発見せるに因《よ》る。尚《なお》、同人所有のものと思われる鞄は、赤
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