ていった。
(柿色の風船は?)
無い、無い。無いことはないのだが……。およそ私の居た刑務所の紙風船は、一つのこらずこの丸福商店に買われることになっているのだ。それは刑務所で入札《にゅうさつ》の結果、本年も紙風船は丸福に落ちていたのだった。だから柿色の紙風船は、この店にあるより外に、行く先がなかった。売れたのかしら?
「……もう風船はないのですか」
「唯今《ただいま》、これだけで……」
「そうですか。どこかにしまってあるんじゃないですか」
「いいえ」
小僧さんは悲しいことを云った。
私はガッカリして、立ち上る元気もなかった。そのとき奥から番頭らしいのが、声をかけた。
「吉松。さっき、あすこから来たのがあるじゃないか。あれを御覧に入れなさい」
「ああ、そうでしたネ。……少々お待ち下さい。今日入った分がございましたから」
「今日入ったのですか。ああ、そうですか」
私は悦《よろこ》びに飴《あめ》のように崩《くず》れてくる顔の形を、どうすることも出来なかった。小僧さんは、大きいハトロン紙《し》の包みをベリベリと剥《む》いた。
「これは如何《いかが》さまで……」
「ああ――。」
私は一と目で、柿色の紙風船が重《かさ》なっているところを見付けた。
「あ、こいつはお誂《あつら》え向《む》きだ。こいつを買いましょう。」
私は十円|紙幣《さつ》を抛《ほう》り出して、沢山の風船を買った。小僧さんが包んでくれる間も、誰かが邪魔《じゃま》にやって来ないかと、気が気じゃなかった。だがそれは杞憂《きゆう》にすぎなかった。
私は風船の入った包みをぶら下げて、店を出た。ところが店の前を五六間行くか行かないところで、私はギョッとした。私の顔見知りの男が、向うから歩いて来るのである。それは帆村という探偵に違いなかった。
(これは――)と咄嗟《とっさ》に私は決心を固めたが、幸いにも帆村探偵は、並び並んだ玩具問屋《おもちゃどんや》の看板にばかり気をとられて歩いているらしかった。私はスルリと電柱の蔭に隠れて、とうとうこの間抜け探偵をやりすごした。
私はすぐに円タクを雇うと、両国《りょうごく》へ走らせた。国技館前で降りて、横丁を入ってゆくと、幸楽館《こうらくかん》という円宿《えんしゅく》ホテルがあった。私はそこの扉《ドア》を押した。
三階へ上り、部屋からお手伝いさんを追い出すのももどかしかった。宿泊料とチップを受けとって、ふくら雀《すずめ》のようなお手伝いさんが出てゆくと、私は外套《がいとう》を脱ぎ、上衣《うわぎ》を脱いだ。そして持ってきた包みをベリベリと剥がした。ナイフなんか使う遑《いとま》がない。すべて爪の先で破った。
出て来た出て来た。
「柿色の紙風船だァ!」
外《ほか》の紙風船は、室内にカーニヴァルの花吹雪《はなふぶき》のように散った。
「これだ、これだッ」
とうとう探しあてた柿色の紙風船だった。私の眼は感きわまって、俄《にわ》かに曇った。その泪《なみだ》を襯衣《シャツ》の袖で横なぐりにこすりながら、私は紙風船の丸い尻あてのところを指先で探った。
「オヤ?」
どうしたのだろう。尻あて[#「あて」に傍点]のところに確かに手に触れなければならない硬いものが、どうしても触れないのだ。そこはスケートリンクのように平坦だった。
「そんな筈はない!」
怺《こら》えきれなくなった私は、尻あてに指先をかけると、ベリベリと引っぺがした。すっかり裏をかえして調べてみた。ところが、やっぱり何も見当らない。これは尻あてと、呼吸《いき》を吹きこむ口紙の方と間違ったかナと思って、今度はそっちの方をひき※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》ってみた。が、やっぱり無い。そんな筈はない。そんな筈はない。が、どうしても見当らないのだった。
「ああーッ」
私の腰はヘナヘナと床の上に崩れてしまった。夢ならば醒《さ》めよと思った。神様、もう冗談はよしましょうと叫んだ。時間よ、紙風船を破く前に帰れよと喚《わめ》きたてた。だが、そんなことが何の役に立つというのだ。絶望、絶望、大絶望だった。数万の毛穴から、身体中のエネルギーが水蒸気のように放散《ほうさん》してしまった。私は脱ぎ捨てられた着物のようになって、いつまでも床の上に倒《たお》れていた。
それはどれほど後だったかしらぬ。私はようやく気がついて、床の上に起き直った。
考えてみると、随分馬鹿な話だった。あれほどうまく隠しおおせた三万五千円のラジウムが、とうとう行方不明になってしまったのだ。だが、あの日までは私の手のうちにあったラジウムである。現在も地球上の、どっかに存在している筈《はず》であった。
そう思うと又|口惜《くや》し泪《なみだ》がポロポロ流れ落ちて来るのだった。人生の名誉を賭けたあのラジウムを、
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