ラジウムは遂《つい》に怪《あや》しまれることもなく、私の独房の箒《ほうき》の中に、五年の歳月を送ったのだった。私に新たな希望の光がだんだんと明るく燃えだした。私は暮夜《ぼや》、あの鉛筆の芯《しん》ほどのラジウムを掌《てのひら》の上に転がしては、紅い灯のつく裏街の風景などを胸に描いていた。
ところが出獄《しゅつごく》も、もうあと三週間に迫ったという一月二十五日のこと、私の独房に、思いがけない二人の来訪者があった。
「オイ、一九九四号、起きてるか。――」
看守の後から背広姿の二人の訪客が入って来た。私は保釈《ほしゃく》出獄の使者だろうと直感した。
(オヤ)私は心の中で訝《いぶか》った。二人の客のうちの一人は、見知り越しの医務長だった。もう一人は、日焼けのした背の高いスポーツマンのような男だった。
「この男ですよ。入ったときは、実にひどい痔でしてナ、ところが私の例の治療法で、予期しないほど早く癒《なお》ってしまいました」
「はア、はア」
「どうか何なとお話下さい。あとでこの男の患部を御覧に入れましょう」
「いや、それには及びません。ただ、すこし話をして見たいです」
「それはどうぞ御自由に……」
その見馴《みな》れぬ紳士は、私の痔病について、いろいろと質問を発した。私はそれについて淀《よど》みなく返事をすることに勉《つと》めた。しかしあの病院のことだけは言わなかった。
紳士は大した質問もせずに、医務長と共に引上げていった。
そのあとで私はガッカリして、便器の上に蓋をして作ってある椅子の上に腰を下した。
(どうも変だナ)
紳士は一見医師としか見えぬ質問をしていったが、どうも医師くさいところに欠けているような気がした。疵《きず》を持つ脛《すね》には、それがピーンと響いたのだった。
(探偵《でか》かしら……)
にわかの不安に私の胸は戦《おのの》きはじめた。
(これァいかん)
私は真先に、ラジウムの処分問題を考えた。この調子では、私の肉ポケットに入れて出ることは、明かに危険であると感じた。きっと出獄の前に、いまの二人が私の肉ポケットを点検するだろう。そのときこそ百年目に違いない。――私は至急に別なラジウムの隠し場所を考え出さねばならなかった。
「オイ丸田」と作業場で声をかけたのは五十嵐だった。
「昨夜《ゆうべ》は大したお客さまだったナ」
「うん」
「あの若い方を知っているかネ」
「背の高い男のことだろう。――知らない」
「知らない? はッはッはッ。馬鹿だなァお前は。あれは帆村《ほむら》という探偵だぜ」
「探偵? やっぱりそうか」
「どうだ思い当ることがあろうがナ」
「うん。――いいや、無い」
「う、嘘をつけ。おれが力になってやる。手前《てめえ》の仕事のうちで、まだ警察に知れていないのがあるネ」
「いいや、何にも無い!」
私はいつになく、この無二の親友の好意を斥《しりぞ》けたのだった。いくら五ヶ年の親友だって、こればかりは打ち明けかねるというものだ。
それから私たちは、無言《むごん》の裡《うち》に仕事をやった。それは私たちにとって珍らしいことだった。二人はこの仕事の間に、たとえ話がないにしろ、軽い憎《にくま》れ口《ぐち》や懸声《かけごえ》などをかけて仕事をするのが例だったから。
黙《だま》っているお蔭で、遂に私は素晴《すば》らしいことを発見した。それはあのラジウムを、安全に獄外へ搬《はこ》びだす工夫だった。まず大丈夫うまく行くと思われる一つの思い付きだった。
その日、昼食《ちゅうじき》が済《す》んで、囚人たちは一旦各自の監房へ入れられ、暫くの休息を与えられた。やがて鐘の音と共に、またゾロゾロと列を組んで、作業場に入っていった。そのとき私は、あのラジウムを裸のままで持ち出した。それは柿色の制服の、腰のところにある縫い目に入れて置いた。
作業場へ入ると、私は一同に準備を命じた。私は組長だったから、作業の初めにあたって、一同の面倒を見てやるため、あっちへいったり、こっちへ来たりすることが許されていた。
「オイ、材料を見せろ」
と私は痩《や》せギスの青年に云った。
「へえ、これだけ出来ています」
私はその紙風船の花びらの束を解いて、パラパラと引繰りかえしていたが、
「おい、一枚足りないぞ」
「え?」
「ナニ、いいよいいよ」と私は云いながら、隅ッこに駄目な花びらが乱雑にまるめてあるところへ寄った。そして中から、一枚の柿色の花びらを取った。「こいつを入れとこう」
「それは駄目です」
柿色の花びら[#「びら」に傍点]というのは、実は不合格にすべきものだった。それは蝋紙《ろうがみ》の黄の上に、間違って桃色が二|重刷《じゅうずり》になったものだった。これは二色が重なって、柿色という思いもかけぬ色紙になった。元来すこし位、色が変わっ
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