半。
 突如《とつじょ》として、空襲警報を伝えて、サイレンが鳴りだした。
 部屋部屋が、急にさわがしくなった。
(ふん、また空襲警報か)
 このごろ、毎日のごとく夜半《やはん》から暁《あかつき》にかけて空襲警報が鳴る。しかし多くは、空襲警報だけに終って、敵機の投弾《とうだん》は、殆《ほとん》どなかった。たまに、ドイツ機らしいのが入って来ても、その数は二三機で時間だけは相当ねばって、三四時間に亙《わた》って、市民は避難をしていなければならなかった。今夜も、きっとそのようなことであろうと思っていた。
 仏天青《フォー・テンチン》は、一つには睡眠剤を呑みすぎたせいもあり、また一つには、日暮《ひぐれ》に宿についた臨時の客であったせいもあり、彼は起きないままに、部屋の中に放置《ほうち》されていた。
 気がついたときには、爆弾が、しきりに落ちて炸裂《さくれつ》していた。
 彼は、起き上った。電灯をつけようと、スイッチを探していると、ばっと、突き刺すような閃光《せんこう》が、窓の隙間《すきま》から入ってきた。そして轟然《ごうぜん》たる爆音がつづけさまに、鳴りひびき、そして、じンじンじン[#「じンじンじン」の「ン」は小書き]と建物は震《ふる》えた。
 彼は、くらがりの中で手に当った服をすばやく、身につけた。
 室から飛びだすと、ネオンの常置灯《じょうちとう》が、うすぼんやり廊下を照らしていた。
(防空室は、どの階投を下りるのかな)
 彼は、アンから教わった階段を忘れてしまった。そのときまた、つづけさまに、爆音が轟《とどろ》いた。ひゆーンという飛行機の呻《うな》りが聞える。どうもドイツ機らしい。廊下のつきあたりのカーテンが、ぴかっと光った。外の爆発の閃光《せんこう》が、カーテンを通すのであった。建物は、今にも裂《さ》けとびそうに、鳴動《めいどう》する。
 そのとき、爆弾の音を聞きながら、彼は、なにかこう、男性的な快感を覚《おぼ》えた。
「そうだ。屋上へ上って、一つ、戸外《こがい》の様子を見てやれ」
 こういう山の上の建物だから、よもや大して爆撃されることもあるまいとも思ったのである。彼は、廊下の突き当りの扉《ドア》をあけて、非常梯子《ひじょうはしご》づたいに屋上の方へ上っていった。
 壮観《そうかん》であった。思いがけない大壮観であった。眼下に見えるクリムスビーの町の上には、照明弾が、およそ二三百個も、煌々《こうこう》と燃えていた。この屋上にいても、新聞の文字が読めそうな明るさである。彼は、非常梯子を上へのぼり切って、屋上へ出たものか、それとも、この非常梯子にとりついてそっと首を出していた方がいいのか、ちょっと迷った。
 そのときであった。彼は、屋上に、二つの人影が動いているのを発見して、おやと思った。
(何をしているのだろう?)
 空襲見物では、あまりに物好《ものず》きである。彼は、自分のことは棚《たな》に上げて、そう思った。
 その二つの人影は、屋上から躯《からだ》をのりださんばかりにして、何か、映画に使うような移動照明器《いどうしょうめいき》のようなものを、動かしている。
(おかしい。防空隊の照明班にしては、あまりに小規模《しょうきぼ》だし……)
 彼は、爆撃中の危険も忘れて、その二つの人影の行動に、好奇心を沸《わ》かした。そして、その傍《そば》へ行って見る気になったのである。
 彼は、梯子を登り切って、その人影の方へ歩いていった。向うでは、彼が近づいてくるのに全然気がつかないようであった。
「ああ、あれは、アンじゃないか」
 彼の心臓は、どきんと鳴った。
「何をしているのですか」
 彼は、二人の傍へいって、声を懸けた。
「ああッ」
 二つの顔が、一せいに彼の方へ向いて、そして歪《ゆが》んだ。アンと、もう一人は、ボジャック氏だった。
「お待ち、ボジャック!」
 アンが、ボジャックに飛びかかって、腕をおさえた。ボジャックの手には、ピストルが握られていた。そして、喰いつきそうな顔で仏を睨《にら》みつけている。
 仏《フォー》は、刹那《せつな》に、一切《いっさい》を悟った。
(そうだったか。二人とも、ドイツ側のスパイだったんだな)
 そう感じたが、なぜか、彼は、それほど愕《おどろ》かなかった。
「あなた。さっきのお約束をお破りになる?」
 アンが、ボジャックの腕を必死になって、抑《おさ》えながらいった。
「……約束は、守るよ。だが、説明をしてもらいたいものだ」
「なにを……こいつを、やっつけたが、早道だ」
「お待ち。命令だ、撃ってはならない。それよりも、早く赤外線標識灯《せきがいせんひょうしきとう》を、沖合《おきあい》へ!」
 アンは、上官のような厳《おごそ》かな態度で叫んだ。
「私は、皆さんの邪魔《じゃま》をしまい。私は、傍観者《ぼうかんしゃ
前へ 次へ
全21ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
海野 十三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング