つけたので、やっと最後の車に飛び乗ることが出来た。
仏は、そのたくさんの買物を抱《かか》えて、十三号車まで辿《たど》りつくのに、人や荷物を分けていくため、たいへん骨が折れた。
やっと十三号車に辿りついて、アンの待っているコンパートメントに入ろうとしたとき、内側で、ひそひそと話声がしているので、彼は、はっと思って、足を停めた。
廊下に立って、そっと耳を澄《す》ましてみると話しているのは、アンと、そしてもう一人は男の声だった。言葉は、フランス語だった。男の声は、いやに疳高《かんだか》い。アンが、もうすこし低く喋《しゃべ》ってはと注意したが、その男の声は地声《じごえ》とみえて一向《いっこう》低くならなかった。
「……桟橋から飛びこんだときは、後悔したよ。なぜって、海の水は、冷え切っているのだからねえ」
「もっと小さい声で……」
「とにかく、そんなわけで、もぐれるだけもぐっていたが、モーターボートの追跡陣《ついせきじん》は、厳重《げんじゅう》だ。もう駄目かと思ったときに、空襲警報が鳴った。これが、天の助けだ。そうでなければ、ボジャック氏は、今ごろは縄目《なわめ》の恥《はじ》をうけていたわけだ」
「よかったのねえ」
「だが、どうにも腑《ふ》に落ちないのは、あのものものしい騒ぎの一件だよ。われわれフランスからの避難民を、イギリスの奴等は、いやに犯罪人あつかいするじゃないか。フランスは、あんなにイギリスのために、ドイツの奴等を喰《く》い止《と》め、血を流してまでも働いてやったのに」
「仕方がないよ。いまに、誤解がとけるだろうよ」
「しかし当分は、小さくなって隠れていなくてはね」
仏天青は、廊下に立ってこの会話を盗み聴きしていたが、それ以上、聞くにたえなかった。ボジャック氏とかいう男は、リバプールの港へ飛び込んだ人物であり、そしてアンの連《つ》れであった。すると、アンの亭主ではないか。アンを自分の妻君だと信じていた仏天青は、全身、血が一時に逆流《ぎゃくりゅう》を始めたような気がした。
(このまま、列車から飛び下りてしまおうか?)
と、仏天青は、思った。
だが、彼は、遂《つい》に、そうはしなかった。そして、コンパートメントへ入っていったのであった。
彼は、初めて声の主ボジャック氏の姿に接した。長身の、目の落ちこんだ、鼻の高い男であった。言葉つきから想像したよりも、若くて
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